概要
父の文稷は曹操に仕えて武功を立てた人物であった。文欽は若い時、219年の魏諷のクーデタ未遂事件で魏諷に同調する発言をしていたことから投獄される。しかし獄中でも平然としていたことから逆に認められて解放された。曹真の子の曹爽には、同郷の縁で可愛がられた。明帝曹叡の時代、粗雑な性格を理由に訴えられて都へ帰還させられるが、同時期に幼帝曹芳の補佐として曹爽が実権を握ると、罷免どころか廬江太守に出世して返り咲く。
彼は武勇に優れていたが同僚との折り合いが悪かった。揚州都督の王淩(董卓暗殺の首謀者である王允の甥)からは辺境を任せるには不適当な人物だと提訴されていた。また、同じく曹爽派に属していた諸葛誕とは当初から不仲で、後々このことが彼の命取りとなる。249年、曹爽一派が司馬懿のクーデターにより三族皆殺しとなった後も揚州に残り、後には揚州刺史・前将軍となった。
253年には諸葛恪が軍を率いて攻め込んできた際、毌丘倹や張特らと共にこれを防ぎ、呉軍内に疫病が蔓延した事もあって諸葛恪の軍を破る。
ところが、曹芳が司馬師により強制退位させられると、誼を通じていた毌丘倹と共に、連名で司馬師を弾劾する皇太后の詔勅を偽造して反乱。息子2人を連れて加勢した。この時郭淮に味方するよう手紙を出したとされる。
司馬師の討伐軍に対して文鴦が奮戦するものの、魏朝の忠臣の尹大目が、司馬師がまだ目の下の瘤を手術した経過が悪く、静観していれば趨勢が変わると伝えようとしたものの、直接的に伝えると自身にも危険が及ぶ事を考慮した尹大目が、文欽の前で間接的に伝えようとしたものの理解できず、文欽は尹大目を攻撃しようとして撤退させてしまう。
更には息子との挟撃を図ろうとするが、逆に道に迷って挟撃に失敗するという失態を犯し、文鴦の奮戦で司馬師の追撃を振り切ったものの敗れて、毌丘倹の援軍として北上中だった呉軍に合流して、親子三人共に呉の国へと落ち延びた。
当時呉の実権を握っていた孫峻・孫綝の二代には信用され、先に魏から降っていた唐咨と共に呂拠(呂範の次男)追討の任を与えられたりしていた。
257年、魏の大将軍司馬昭に対して諸葛誕が寿春で反乱を起こすと、司馬昭の討伐軍に城を包囲された諸葛誕から救援要請をうけた孫綝の指示で、唐咨や仲の悪かった朱異(朱桓の長男)・全端ら全一族、そして息子2人と共に援軍として諸葛誕の救援に向うことになった。
しかし前述の通り、諸葛誕に嫌われていた事が災いしてか最後は意見の対立もあって、諸葛誕の手で斬られた。そのため息子たちは諸葛誕を見限り、寿春城を出て司馬昭に帰属。乱の終結に一役買うこととなる。
真・三國無双シリーズ
武器:5と6:刀 7:槍 声:5:中尾良平、6以降:江川央生
5はあまり出番が無かったが、6の晋ストーリーにて初登場。司馬一族の専横に怒り、毋丘倹と共に反乱を起こす。(毋丘倹・文欽の乱。専用のBGMあり)司馬氏の専横は許さないと考えているが、逆に言えば自分達で政権を握ろうとする・・・言わば小悪党である。
6の諸葛誕の乱では兵糧不足に陥りながらも籠城に固執する諸葛誕に「民を思うなら彼等を解放するべき」と諌めるなどまだ真面目な面も見られたが、7では魏と呉がやりあってる内に漁夫の利を得ようと狡猾な部分が強調され、諸葛誕の乱でも自らの安全を優先する発言をしていた。
IFシナリオに至っては息子2人に裏切られる始末である。(次男は戦いの最中に裏切るが。)モブキャラなのに出番が多く、7では喋り方が強烈な個性を放つキャラクターの1人になっている。
7の将星モードでは息子文鴦との特別会話が存在し、息子思いの父親としての側面も見せる。
ちなみに6と7では、グラフィックは同じであるものの文鴦の得意武器に合わせてか7の方では刀から槍に武器が変更されている。(毋丘倹も本来の武器から変更されて、刀となっている)
ちなみに無双ブラストにて無双武将として登場している。息子の文鴦と似た兜を付け、体中に戦傷のある勇ましい武人姿であるが、何かを企んでいるような表情からは、無双本編でも見られた狡猾な性格も窺わせる。
三国志シリーズ
初期は意外にもイケメン文官風の顔グラだった。さすがに長男ほどではないが武勇はある。ただし政治力・知力・魅力とかはお察し。