概要
孫権が若い頃に朱桓は余姚県の役人に取り立てられ、辣腕を発揮して庶民を疫病や困窮から救ったため名声を得た。
後に武将となり、山越(呉領内の不服従住民)が反乱を起こした際にその鎮圧に当たった。
魏軍との戦いにおいても、223年に名将の曹仁を破り、その4年後には陸遜や全琮と共に曹休を敗走させるなど武勇を発揮した。
人物
朱桓はプライドが高く、「俺と曹丕では俺のほうが能力が上。まして曹仁のような下っ端など話にならん」「曹休は所詮皇族というだけで武将になれた人物」と豪語していた。
人の下に付くことは非常に嫌った。そのため同僚の全琮や胡綜と対立し、怒りの余りその部下を斬り殺したこともある。
一方、下の者には優しく、恩賞の足りない者には自分の財産を分け与えたり、部下とその家族の顔と名前を1人1人覚えていたため、人望は厚かった。
陳寿は朱桓について、傲慢で狭量なところもあったが、勇敢で武勲を挙げた人物と評している。
逸話
三国志演義でも文武に秀でた将軍として登場し、敵将の張普を一太刀で討ち取っている。
『捜神記』には、朱桓の下女が飛頭蛮という南方に住む妖怪だったとの逸話がある。