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概要

沛国出身。曹操の族子。祖父は曹鼎。父の名は不明。子は曹肇曹纂ら。一族に曹真がいる。

幼い頃に父を無くし、戦乱を避けるため呉郡で安穏の余生を過ごしていたが、叔父の曹操が挙兵したことを知り、母と共に曹操の元に駆けつけ、曹操からは「千里の駒(=馬)」と評される。

曹休は、曹操と卞氏の間に生まれた長男・曹丕と同様に曹操から可愛がられ育てられた。常に曹操の征伐に従い、虎豹騎の指揮に族兄弟の曹真と共にあたった。

218年の漢中攻防戦では、騎都尉として族父の曹洪の軍事に参加し、事実上の主将となり、劉備軍の計略を見破って呉蘭雷銅らを大破し、張飛馬超らを敗走させた(武都の戦い)。長安に帰還すると、中領軍に任じられた。

228年、司馬懿賈逵とともに三方面から呉征伐の任に当たったが、偽りの帰順をした呉の周魴の誘いを信じて、自ら10万の兵を指揮し、呉領深くの皖城まで進軍させた。周魴の罠に嵌った曹休の軍勢は陸遜軍の挟み撃ちに遭い大敗したが、当時配下であった王淩の奮戦と、賈逵が援軍に駆け付けたことにより、曹休の命だけは助かった。やがて曹休は、敗戦のショックにより悪性の腫瘍を患い、それが原因で間もなく死去した。

メディアにおける曹休

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