官渡の戦い
4
かんとのたたかい
曹操と袁紹が河北の覇権を賭けて激突した戦い。曹操軍が勝利した。
三国志において赤壁の戦い・夷陵の戦いと並んで時代の流れを決定づけた重要な戦いとして知られる。
狭義においては戦役の終盤で官渡で行われた戦闘のみを指すが、広義では曹操と袁紹の一連の抗争を含む大戦役の事を指す。
前哨戦・白馬の戦い
西暦200年に袁紹は、「献帝(漢の皇帝)を手中に収める曹操を逆賊として征伐する」ことを大義名分に曹操に対して大軍で大攻勢を仕掛けた。
一方、曹操も「献帝(を奉じている自分)に対して反逆する袁紹を迎え撃つ」という大義を掲げて反撃した。
この時、曹操の配下には関羽がいた。関羽は劉備の重臣(三国志演義では義弟という設定)で忠臣だったが、事情があって劉備と離れ離れになった祭に曹操に降伏していた。そして関羽は、曹操に降伏を認められた恩に報いるべく白馬の戦いにて袁紹軍の猛将・顔良を討ち取った。
その後、劉備が袁紹の元に身を寄せていることを知った関羽は、曹操の許可を得た上で劉備の元に帰還した。
その後、袁紹は文醜に曹操軍を攻撃させるが、反撃に遭った文醜は戦死した(三国志演義では、曹操の元を離れる前の関羽が討ち取った設定になっている)。
官渡砦攻防戦
汝南において劉辟が曹操に反乱を起こしたことを知った袁紹は、劉備にそれを支援させる。だが、曹操は重臣・曹仁の活躍によってこの状況を打開した。しかし、袁紹は再び劉備に汝南侵攻を命じ、劉備は龔都と共に蔡陽(曹操側の武将)を討ち取った。
事情があって曹操側だったが、曹操の許可を得た上で袁紹側の劉備の共に帰還
袁紹側だったが、袁紹に諫言を聞き入れられずに投獄されていた
関連記事
親記事
兄弟記事
コメント
コメントが未記入です
pixivに投稿されたイラスト
すべて見るpixivに投稿された小説
すべて見る【三國7】丕甄詰め合わせ【NL】
丕甄3本。官渡の時の話なので微糖。7の夫婦は6や6猛将伝に比べて若いというか青い感じがしたので(特に王子)、出会ってしばらくは両片思いでジリジリしてたらいいと思います。色々滾って殴り書きました。 お題お借りしました(http://little1123.biroudo.jp/)ありがとうございます。 8/26追記:閲覧評価ブクマ、本当にありがとうございます。嬉しいです!…しかし自分で読み返して色々と粗が見つかって、あちゃーな感じです…1頁と2頁は続き物、3頁目はなんとなくリンクしてるかな程度にゆるーくお読み下さい…。10,531文字pixiv小説作品幼馴染の曹操と袁紹、ニ雄の激突!
三国志史上のライバル同士の二人、曹操と袁紹を描きました。 二人は幼馴染でも、全くタイプの違う二人です。 そんな二人が どういう結末を迎えるのか? 知っている人もお楽しみください。 劉備もチョコっと出ています。5,749文字pixiv小説作品