概要
つーか、マジ夫婦だし!
史実と創作の違い
元々は劉孫同盟強化のための政略ありきで結婚した夫婦でしかなく、史実では不仲だったという。のち劉備と孫権が荊州をめぐって対立するようになったこともあるが、正史『三国志』では孫夫人の素行や性格が原因とも言われる。
しかも、劉備が益州に向かった際、孫夫人は劉備の息子である阿斗(劉禅)を連れ出して、孫権の使者と共に勝手に呉へ戻ろうとしており(実質的に誘拐で、趙雲達によって阻止されている)、一説では最初から孫夫人は劉備の弱みを握って従わせる為に送り込まれた間諜だったのではないかともされている。
諸葛亮からも、「内部には孫夫人の脅威あり」と言われており、主君の婦人でありながら信用すらされておらず、寧ろ内部の敵として警戒されていたようである。
ちなみに孫夫人は劉備の他の正室たちである甘夫人や呉夫人(穆皇后)と違い立伝さえされておらず、蜀志「龐統法正伝」に記述がある程度である。
一方で、三国志演義や、それを基にした創作物では政略というきっかけを超えて、互いに深く思いあう者同士として描かれていることが多い。ちなみに孫尚香が結婚当時17歳ほどだったことに対し、劉備は既に50歳ほどだったらしいので、かなりの年の差カップルに当たる。(今だったら犯罪とすら言われそうである…)
投稿では真・三國無双シリーズ関連が多く、ストーリー面では3猛将伝の孫尚香伝から初めて二人のラブストーリーが描かれるようになり、それ以前では接点のない赤の他人のごとくであった。また史実や演義ほど年の差は大きくないように見られる。ちなみに史実の穆皇后の役割も兼ねているためか穆皇后は未登場でその兄の呉懿や族弟の呉班もモブという扱いになっている。