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概要

三国時代曹操曹丕に仕えた将軍。字は文則。

三国志では、曹操の覇業を支えた将軍として張遼楽進張郃徐晃と共に一つの巻に収録しており、魏の五将軍(五子良将)と称えられている。陳寿は「5人の中で最も剛毅で威厳であった」と評している。


左将軍にまで出世するなど優れた軍才を持つが、晩年に関羽と戦って敗れ、降伏してしまい、祖国に帰還した後も曹丕から辱められるなど、晩節を汚したことで評価が分かれる人物。


生涯

兗州泰山郡鉅平県の人。黄巾の乱で同郷人の鮑信が義勇兵を募った際に参戦し、初陣を飾っている。初平3(192)年、鮑信が戦死した際に曹操に召し抱えられるが、その出会いで于禁は才能を開花させ、出世街道をひた走る。


軍司馬になった于禁は陶謙の支配する徐州、呂布に奪われた濮陽の戦いでも隊を指揮して活躍し、曹操の評価と寵愛を得る。その後も劉辟や袁術との戦で堅実な戦いを見せる。


宛で曹操が張繍の奇襲で敗れた時に、曹操配下の兵団である青州兵が略奪を開始した時、その暴動を鎮圧して敵への備えも済ませた上で曹操に面会して弁明し、その冷静さと実直さを世に知らしめた。曹操はこの時、于禁を「古代の名将にも勝る」と絶賛した。


建安4(199)年、官渡の戦いでは先陣を切って戦い、袁紹軍の猛攻を防いで勝利に貢献した事で偏将軍に昇格。荊州征伐では夏侯惇配下で戦い、苦戦したが李典に救われた。なお、演義では于禁が劉表の息子と後妻を殺している場面があるが、それは創作であり母子は曹操配下で幸福な余生を過ごしている。


建安6(206)年に反乱常習犯の昌豨を征伐し、昔のよしみにすがろうとした彼を泣く泣く処刑している。これも于禁の謹厳実直さのエピソードだが、曹操が厳し過ぎると言っている所などから評価が二分する。


その後も順調な彼の出世街道であったが、建安24(219)年に曹仁を救援に行った事から運命が暗転する。洪水(演義では蜀軍の策略)にあった挙げ句、関羽に敗れて捕まってしまう。同じく参戦していた龐徳は死を選んだが、于禁は関羽軍の捕虜として過ごし、関羽が呉に殺された事でようやく解放される。曹操は于禁が降伏したことに対して「ワシが于禁を知ってから三十年になるが、まさか龐徳に及ばないとは…」と嘆き悲しんだと言う。

しかし、彼の投降により関羽は自軍内に大量の降兵を抱えることとなり、ただでさえ苦労していた糧秣の確保を壊滅的にさせ、また進軍スピードを鈍らせた。そのため結果として関羽への妨害に繋がったという見方もある(そもそも、当時の曹操軍の軍律では降伏したものは生きて帰ってこようが特赦が与えられない限りは死罪である)。


解放された于禁は、その人柄を愛した孫権から手厚くもてなされるが、呉の軍人で文官でもある虞翻は于禁を嫌って苛めぬいた。そして、こんな不忠義者は殺して見せしめにしろと言いたてたが、于禁は虞翻の態度を咎めず、むしろ褒めたと言う。


魏の黄初2年(221)年に曹丕の所へ送還された際、曹丕は于禁に慰めの言葉と安遠将軍の爵位を賜って慰め、曹操の墓参りをするように言いつけるが、曹操の陵墓には龐徳が降参しないのに対して自分が降伏している絵が描かれていた。それを見た于禁は恥と怒りで床に伏し、哀れにも病死する。

諡号は厲侯(れいこう)。「厲」の字には、厳しいもの、疫病神、災いの意味があり、曹操挙兵以来の中心であった于禁は、晩節の転落によって死んでもなお辱められたのであった。


人物

三国志」正史では、張遼楽進・于禁・張郃徐晃が1つの巻にまとめられ、陳寿は「于禁は五人の中で最も剛毅で威厳があったが、その終わりを全うしなかった」と評した。


王沈の著した「魏書」では、于禁の直接の人物評ではないが、曹操の人物眼が優れていたことの例えとして、于禁が大いに活躍したことを上げている。


司馬光の著した「資治通鑑」では、于禁の最後について「文帝(曹丕)は于禁を許すことも殺すこともできた。それなのに降服した有様を描かせてこれを辱めた。君主のやることではない」と、曹丕の仕打ちを批判している。


略奪を働いた味方の青州兵を鎮圧するなど規律に厳しい人物であった。敵軍の財物を手に入れても自分の懐に入れず、将兵への恩賞として与えた。よく言えば謹厳実直であったが、それが行き過ぎて融通が聞かず、他人にも厳しかったため人望は薄かったようである。


三国志演義では概ね史実に沿った描き方をされているが、味方の龐徳に功を取らせまいと妨害するなど、より小物臭漂う武将になっている。他の五将軍と比べて一騎打ちの活躍も少なく、馬超に一蹴される程度の場面しかない。


関連作品における于禁

真・三國無双シリーズ

rain

于禁(真・三國無双)を参照


恋姫†無双シリーズ

真・恋姫†無双 于禁

真名は沙和。リンク先を参照


コーエー三國志シリーズ


当初はモブ顔の猪武者か凡庸だったが、徐々に知力や統率が上昇して使えるキャラになっている傾向がある。ただ、部下に嫌われて友達がいなかったためか魅力がそこまで高くはない。


横山三国志

どっかの武将みたいなキュゥべえ


曹操軍の中でも多く登場する顔ぶれで、演義通りの描き方だった。が、イラストにあるような台詞を発して降参したため、関羽に「それが総大将の言葉か」と叱責され、捕縛され「犬を斬っても仕方がない」と言われて退場した。様々な場所でネタにされる。

横山版の元ネタの一つになった吉川英治三国志では呂蒙によって身柄を保護され、「呉に仕えよ」と諭される救済策が為されていた。


日本テレビ版三国志

于禁ちゃんとして現在も語り継がれている。1985年に放送された、赤壁の戦いを描いた長編アニメ映画では女体化され、曹操を慕う美少女剣士と言う設定になった。最後は焼死している。


蒼天航路

于禁が関羽と対決する場面では、関羽との一騎打ちが描かれる。漢水が氾濫したせいで、一騎打ちは途中で切り上げることになり、また兵も散り散りになってしまい、関羽から降伏を促される。

于禁ははじめ関羽に降伏することを拒みますが、関羽も曹操に一時的に降伏していることを思い出し、それでもなお誇り高く戦い続ける関羽の姿に魅せられ、降伏を決意する。

この時の于禁は堂々としており、「飯を食わせろ」と関羽に要求している。曹操も、正史と異なり、于禁の降伏に軽蔑するような言葉は残さなかった。



関連項目

三国志  五将軍

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