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概要編集

文醜と共に袁紹軍の猛将コンビと知られた。


イケメンだったかどうかは定かでは無いが、名前の字体が「顔良(=顔が良い、イケメン)」だったり、コンビの片割れの名前が「文」だったこともあり、イケメン・ブサメンコンビとしてネットが普及する以前からすでにネタにされるようになった(?)

しかし、コーエーの三国志シリーズの顔グラは代々、演義で化け物扱いされた文醜にも劣らぬ御面相である。


正史では編集

文醜と共に袁紹軍の勇将として知られ、孔融からもその武勇は評価されていたが、官渡の戦いの前哨戦と言える「白馬津の戦い」において、曹操軍の囮にかかり、当時曹操の客将であった関羽にあっさり討たれた。一説では関羽が劉備の義兄弟という話を聞いていた顔良は関羽に話をしようと近づいたが、関羽は問答無用で顔良を切り捨てたということになっている。武勇はあるが大したことはない(意訳)と荀彧に評されており討ち取るのは容易と見られていた。


三国志演義では編集

並外れた猛将として登場し、白馬で曹操配下の宋憲魏続を斬り殺し、徐晃をも圧倒した。関羽に討たれるのは史実と同様。演義では荀彧孔融とのやり取りで「匹夫の勇」と評している描写がある。また、味方の沮授からもその軽率な性格を懸念されていたがその通りの結果になった。



血縁編集

  • 孔子の高弟・顔回の子孫という説もある。
  • 南北朝時代に活躍し「顔氏家訓」を著した顔之推とは同族とされる。
  • 余談だが唐の忠臣で能書家としても名高い顔真卿、その族兄でこれまた忠義と剛直ぶりで知られる顔杲卿はともに顔之推の五世孫とされる。

ちなみに顔氏は代々文に優れた家柄であるとされるが顔良は例外だったようである。


創作作品における顔良編集

横山三国志編集

顔良

巨大な鉞を武器とする。反董卓連合軍解散後の公孫瓚との戦いから登場するが、文醜の方が目立ち、わずか数コマした登場していない。「白馬津の戦い」で、関羽に斬られるまで宋憲魏続の二将軍をほとんど一撃で倒し、さんざんに暴れ回った。関羽に頭から胴体を真っ二つにされて倒されるシーンは一ページ丸ごと使って描写された。


蒼天航路編集

関羽に斬られたのは史実通り。ハゲ

正々堂々とした戦いを好み、官渡の戦い前では袁紹を揶揄うように主要武将だけを連れて大胆にも顔良に直接、袁紹への宣戦布告を告げに来た曹操を見逃し、後に袁紹に其の報告に行ったところを文醜に失態として責められるが「一点の曇りもない」「武人は言葉に対する術は知らず、ぞれが袁紹殿に向けられたものなら猶更だ」という内容を答え、「武人である俺たちの戦いを始めよう」と袁紹に曹操の宣戦布告を己が伝える為に前をどくように促している。

袁紹に仕える前は劉備と同じ侠であったという設定となっている。また関羽の元の字が「長生」であること知っている数少ない人物。出撃前の袁紹軍を前にしての曹操を批判した劉備の激に感銘を受けたこともあり彼に親しみを覚え、劉備も彼を「顔さん」と呼び、曹操軍と激突した白馬津では張飛と共に関羽との一騎打ちに入った顔良を止めようとした際には関羽と共に彼を己の兄弟と呼んだ。

それを何ら違和感の無い言葉として受け止め、関羽の初撃を受け止めた衝撃音の響きもそれと同じと評し、二撃目で体を両断されたものの、「侠者たちよ、天下を響動もせ」とある意味、満足そうに戦死を遂げたが、劉備が一時期廃人化する端緒になる。


一騎当千編集

予州学園の袁紹に仕える男性闘士。全然イケメンじゃない。右目に大きな傷があり、帽子を目深にかぶっている。

陰湿で強欲な性格だが、呂蒙子明にアッサリ倒されてしまう。


恋姫†無双シリーズ編集

センシティブな作品

真名は斗詩。袁紹軍の猛将であり大槌(ハンマー)使いだが、他作品と違ってかなりの常識人で袁紹軍唯一の良心であり苦労人にして、文醜(猪々子)の嫁。


十三支演義編集

声:佐藤拓也


関連タグ編集

三国志 武将

袁紹 文醜 関羽

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