概説
袁紹が公孫瓚を滅ぼした後、袁煕は幽州刺史に任じられていた。
袁紹亡き後、後継者を決めていなかったことで兄の袁譚と弟の袁尚が後継者争いを起こすが、袁煕は特に後継者争いに加わっていなかった。ちなみに、袁煕だけ母親が異なり、正室の劉氏の子である袁譚と袁尚とは、異母兄弟である。
しかし、後継者争いの隙を突いて攻めて来た曹操に敗れた袁尚を保護したことで幽州の豪族の反感を買い、結果的に配下の焦触・張南らに見限られて多くの離反を招いてしまう。
袁煕は弟とともに遼西の異民族・烏桓族を頼って逃れた。遼西に進軍してきた曹操を、袁煕と袁尚は烏桓族とともに柳城で迎撃したが敗れ、遼東の公孫康を頼って落ち延びた。
だが、公孫康は曹操を恐れて袁煕と袁尚の首を手土産にして帰服しようと目論見、二人に偽りの歓迎をする。袁煕はそれに怪しんだが、公孫康の軍を奪おうと考える袁尚の主張もあって素直に招かれるも、結局は二人は騙し討ちにより殺害され、その首級を曹操のもとへ送られることになった。