概要
夏侯淵の次男。(演義では長男)。
諸葛亮の第五次北伐に対するため、司馬懿に推挙されて蜀軍と戦った。
その後は公孫淵の謀反鎮圧にも従軍。
しかし、司馬一族によるクーデターもあり曹爽一派だったために親族の征西将軍・夏侯玄とともに追い詰められる。さらに夏侯玄が都に召還され、折り合いの悪かった郭淮が後任の征西将軍になったことが決定打となり親類がいる蜀に亡命(ちなみに夏侯玄は、亡命の誘いを断っている。)。
子を残した亡命であったが、彼らは夏侯淵の功績から命は助けられている。
従妹の夫が張飛で、その娘が劉禅の皇后であったことから、蜀で厚遇を受けた。ちなみにこの際、劉禅は「君の父上は戦の中で死んだんだよ、朕の父上が殺したわけじゃないよ」と、謝罪してるのか言いわけしてるのかわからないがともかくお互い水に流そう的なフォローをしている。
姜維の参謀となり共に魏への侵攻を繰り返したが、狄道で王経に大勝したこと、最終的には車騎将軍へ累進したことが史料で窺える。没年ははっきりしていないが陳祇が亡くなり、張翼と廖化が車騎将軍の地位を分けあった258年~259年の模様である。
戦死したとされている資料もあるが、実際の所は、はっきりしていない。
三国志演義では、姜維とともに北伐の主力となったが、敵が捨てたようにみせかけた城に入城した所を伏兵に襲われ、戦死してしまっている。