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司馬昭の三男であり、司馬師の猶子。そのため、司馬昭の長男司馬炎とともに後継者候補となる。司馬炎が晋の初代皇帝になってからは不遇であった。


後継者争い編集

司馬昭は司馬攸の事を溺愛しており、また「自分は今兄上(司馬師)様の死によって相国の地位に仮にいる。だから自分の死後、大業はその跡継ぎである攸に返すべきである」と言って司馬攸を後継者にしようとしたが、賈充ら重臣に反対され、結局司馬炎を後継者とした。


司馬攸の最期編集

母の王元姫は二人仲良くするようにと願って亡くなり、西晋において強大な権力を持つ義父の賈充が亡くなるといよいよ司馬攸の立場は危うくなっていく。


司馬炎の子・司馬衷は暗愚であったため、司馬炎の後継に司馬攸を期待する者も多かったが、

司馬炎は、中書監の荀勗(司馬炎に媚びへつらい、その態度から司馬攸に嫌われていた)の指摘で司馬攸を大司馬・都督青州諸軍事に任命し、中央から遠ざけようとした。

それに反対した臣下たちは司馬炎に粛清され、司馬攸も荀勗の策謀に怒りを覚え、これらが原因で病を患い吐血して亡くなってしまう。(ちなみにこの時代の歴史書は不遇の死を遂げたものに「血を吐いて悶絶す」という記述がよくあり、死因として正しいかという点では学術的に疑問の余地がある。例としては三国時代の群雄・袁術(袁紹の弟(一説には従弟))がよく知られている)


彼の息子の司馬冏は八王の乱で司馬倫(司馬昭の異母弟)から実権を奪うが、陸機や司馬幹らの忠告を聞かず高慢になり、司馬倫打倒時の同胞だった司馬乂(司馬炎の息子)らによって殺される。


人物編集

非常に聡明で、人格的にも優れていたため、司馬昭からとても期待されていた。

また、司馬師や司馬昭が亡くなったとき、涙を流し、悲しみのあまり病となり、食が通らなくなるなど情が深いと同時に病弱で精神的に脆いところがあったようである。

多くの臣下からもその才を期待され、水害時に民に施しを行ったり、上記のように人情味があったため民衆からも人気があった。


家系編集

父 司馬昭

母 王元姫

妻 賈荃(賈充の娘・賈南風とは異母姉妹)

兄弟 司馬炎など

息子 司馬冏(八王の一人)


猶子として

養父伯父 司馬師

義母 羊徽瑜

義妹 夏侯徽の娘5女

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