概要
揚州廬江郡安豊県の人。
呉の孫権の時代からの仕え、甘寧・陸遜・潘璋らの指揮下で戦っていた。勇猛で名を馳せ年若い将軍となり、大いに武功を挙げて偏将軍に昇進した。
孫亮が即位すると、冠軍将軍・都亭侯となった。
252年、魏が呉を併呑するため諸葛誕・胡遵が軍を率いて侵攻した際、諸葛恪の指揮下で東興において迎え撃った。丁奉は奇襲を仕掛けて大勝し、功績によって滅寇将軍に任じられ、都郷侯に封じられた(東興の戦い)。
孫休が即位すると、専横の振る舞いが甚だしかった孫綝を打倒するため、孫休に呼び寄せられる。丁奉は孫綝一族の力を警戒し、祭りの日に群臣達が集まる機会を利用し、孫綝を捕らえて誅殺するよう進言し、孫綝を誘き出して斬らせた。その功績によって大将軍に任命され、左右都護を加えられた。
263年5月、魏が蜀漢に侵攻した時には、蜀の援護のため寿春を攻撃し魏を牽制したが、蜀が滅亡したため引き揚げた。また、蜀への援軍として派遣された将軍の一人として、名が挙がっている。
孫皓の即位後に右大司馬・左軍師に任じられた。
271年、死去した。
鉄つぶてと呼ばれる武器の名手で、切り札として使用していたという民間伝説がある。
『三国志演義』では、徐盛とともに行動することが多く、張遼に矢を当てて致命傷を負わせている。
主な登場作品
真・三国無双シリーズ
CV中尾良平
丁奉(真・三國無双)を参照