概要
「徐夫人」は二人いる。一人は孫権の正室、もう一人は孫権の弟孫翊の妻である。
一般的には、前者も徐夫人または徐妃と呼ばれる、後者は徐氏と呼ばれる。
呉の徐氏の一員として、この二人は親戚にもある可能性がある。
孫権の正室
徐琨の娘。徐家は呉郡の豪族であり、元々孫家と交流があったため、孫堅の意向により、徐真は孫堅の妹を娶り。この孫娘は徐夫人です。
初めは陸康の孫陸尚に嫁いだ。陸尚の死後、徐氏は孫権が呉県に住んでいた時代に、その妃となった。孫権は徐氏に、長男の孫登を母親の代わりに養育させた。212年、孫権が都の京口を秣陵(後の建業)へ移すことになった際、徐夫人は嫉妬深い性格だったため、廃されて呉郡に留められた。離婚以降、兄弟と共に暮らしていた
その後10年余りが経過し、孫権が帝位に就いた時、呉の臣下たちは孫登の養母であった徐夫人を皇后に立てるよう進言した。しかし、孫権は歩夫人を皇后にしたいという気持ちがあったため、結局認めなかった。その後、徐夫人は病死したという。
孫登は徐夫人を敬愛していたため、孫権が徐夫人と離縁した後も、徐氏の使者を通じて衣服が贈られてきた際には、必ず沐浴してから衣服を着たという。
ちなみに、祖母は軍事面で甥の孫策に助言し、大きく貢献した。
孫翊の妻
204年、孫権に倒された盛憲(セイケン)の部下である媯覧(キラン)と戴員(タイイン)が辺洪(ヘンコウ)と親交を結ぶと、夫の孫翊はこの行為に激怒し3人を袋叩きにする。
その後、夫が役人達を集めて宴会を開こうとしたが彼女は占うと「大凶」が出た為、中止を勧めるものの、孫翊は「そんな事は気にしない」と言って話を聞かなかった。
(ちなみに宴会は夫が起こそうとしたのでは無く、嬀覧と戴員が主催した宴会に参加という説もある。)
その結果、宴会が行われたがその最中に夫は媯覧ら3人に襲われて討ち取られてしまう。
夫が死亡した事を知った彼女は犯人を指名手配するが、嬀覧と戴員は辺洪を犯人扱いし、処刑させる。更に2人は孫翊の兵権を奪って粗暴の振る舞いを行い、自分達を反発した孫一門の孫河も倒すなど日に日に横暴が増すばかりであった。更に挙句の果てには曹操の部下の劉馥に通じて裏切ろうと画策。
彼女は真犯人を2人と突き止めると夫の元部下であった徐元・孫高・傅嬰(この内、徐元のみ演義では登場しない)らに助力を求め、婚約を迫られた際、「亡夫の喪が明けるまで待ってください」と言って承諾する。
亡き夫の喪が終わると、嬀覧と戴員を法事に呼び寄せる。喪服に身を包んだ姿で登場し、2人を油断させた。そして隙を見て3人に嬀覧と戴員を処断。更に2人の一族郎党、家族を殲滅し遂に夫の敵討ちを果たす。
2人の首を夫の墓前で捧げた彼女は、夫の兄である孫権の元で余生を暮らすこととなり、敵討ちを果たした烈女の帰還に江東の人々は歓喜をもって迎えた。
登場作品ごとの徐夫人(徐氏)
コーエー三國志シリーズ
11から初登場。初登場時は何の変哲も無い普通の顔グラフィックだったが、12は前述の敵討ちの際に化粧をして喪服に身を包んでいるグラフィックで登場した。
夫と異なり、武力面は低めだが一方で政治面は少し高く知略に至っては呉の女武将の中では80と最高の数字を持つ。(他の勢力を加えた場合は劣るが。)
また親愛設定が夫なので夫の副将として活躍させるのも良いだろう。
三国志大戦1のみ登場。その後長らく登場しなかったがVer3.5「猛き鳳凰の天翔」にて再登場を果たす。
真・三國無双ブラストで夫と共に無双武将として登場する。