概要
弓術・馬術に優れ、体力もあった為孫堅に見出され部下に採り立てられる。
赤壁の戦いでは、負傷して厠(トイレ)に放置されていた黄蓋を保護する。
夷陵の戦いでは陸遜や朱然らとともに、劉備軍を打ち破っている。
226年没。
家族
息子
韓当の死後、息子である韓綜は非道な行いが目立ったが、孫権は父親に免じて許していた。
しかし、懲罰を恐れた韓綜は父の亡骸や母、一族配下を連れて魏へ逃亡。
その後は魏の武将として呉の領地を略奪し、住民を殺害したので孫権はその話を聞く度に非常に悔しがっていた。
孫権の死後、東興の戦いで諸葛恪に敗れ、戦死。
三国志演義における韓当
武器は大刀。黄蓋・程普・祖茂らとともに孫堅配下の四将軍の一人として登場する。
史実同様、孫策、孫権にも仕え、夷陵の戦いでは周泰らとともに陸遜の指揮に不満を漏らすが、陸遜に戒められている。
また、前述した息子の韓綜は『演義』では丁奉に討ち取られている。
横山三国志における韓当
年齢の割りにイケメンである。初登場は赤壁の戦いの時とわりと遅め。『演義』同様、夷陵の戦いでは陸遜を軽んじるが、後にその軍略が正しかった事に感服する。
「大都督、失礼をいたしました」
真・三國無双における韓当
韓当(真・三國無双)を参照