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曖昧さ回避編集

1.漢の高祖・劉邦に仕えた秦末~前漢前期の武将・将軍。柴武と表記されることが多い。(?~紀元前163)

項羽との楚漢戦争、韓王信の反乱鎮圧、呂太后死後に発生した呂氏一族の乱の後始末などで活躍した。

2.呉の孫策孫権に仕えた後漢末期の武将(?~215)。

ここでは2について述べる。


概要編集

揚州廬江郡松滋の人。字は子烈。

孫策が寿春にいた頃に拝謁して家臣となった。その時、陳武は18歳で身長が7尺7寸あったという。孫策に従軍し、各地で戦功を挙げて別部司馬となった。孫策が劉勲を討つと、その投降者を選抜して軍団を組織し、陳武が指揮をした。


思いやりがあり、人に対する気前も良い性格だったため、同郷の者や遠方からの避難民から慕われた。孫権からも特別の寵愛を受け、偏将軍に抜擢された。


215年、軍との合肥の戦いに従軍し、奮戦するも戦死。孫権は陳武の死を大いに悲しみ、葬儀にも直接参加したという。

息子の陳脩と陳表も将来を期待されていた人材であり、特に弟の陳表は父以上と言われたが、共に早世している。


陳寿陸機羅貫中ら文人はいずれも陳武の徳望を評している。


三国志演義編集

黄色い顔に赤い瞳という容貌であり、武勇に秀でた勇将として描かれる。

周瑜との旧知の人物として登場し、劉繇の残党である張英を討ち取っている(ただし吉川三国志や横山三国志では孫策自ら討ち取っている)。

合肥の戦いで龐徳と一騎打ちを行うが、服が木の枝に引っ掛かって身動きが取れなくなったところを斬られた。


余談編集

三国志大戦』では、何故かとかげみたいな容貌となっており、異色なキャラとして際立っている(三国志演義の容貌が原因と思われる)。


関連タグ編集

三国志 孫呉

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