概要
孫権の妻たちの中でも歩夫人と袁夫人(袁術の娘)はいずれも癖の強い他の夫人たちとは違い嫉妬心はなく慎み深かった。歩夫人は孫権から特に寵愛を受けたとされる。
孫権が皇帝になった際、歩夫人を皇后にと考えていたが、皇太子の孫登や群臣達は事実上の正妻だった徐夫人を皇后にすることを望んでいた。結局孫権は曖昧になり、徐夫人が病死し、歩夫人が亡くなるまで皇后を立てることはなかった。
没後に皇后の位を追贈され、孫権の陵墓「蒋陵」一側の歩夫人塚に葬られる。
立后問題
かといって、生前に孫権が本当に歩夫人を皇后にしたいかどうかは謎である。
徐夫人が廃された後、孫権は将軍として10年の時を過ごしたが、曹操の卞皇后の例とは違って新しい正妻を選ばなかった。歩夫人の身分はあくまでも側室である。
記録には、徐夫人は長男の孫登を託され、もう一人の妃である袁夫人も多くの子供を託された。しかし、歩夫人の元に預けられた子供は、一人もいなかった。一般的な嫡妻のイメージとは違う。
「皇太子を産むことができなければ皇后にはなれない」という主張があるが、劉備や劉禅の例のように、皇太子を立てると同時に他の女性を皇后に立てました(呉皇后と劉禅、張皇后と劉璿)。他の三国時代の皇后もほとんど子供が産まれなかった。だからこの観点は成り立たないと言える。
また、歩夫人本人は、皇后になることに何らかの期待を抱いており、本当の皇后にはなれなかったが、親戚たちと宮人たちが自分を皇后と呼ぶことについては、辞退ではなく黙認した。これは二宮の変における長女・大虎の行動に影響を与えた可能性がある。
登場作品
基本的にこのタグは三国志大戦の歩夫人に使用される。
『三国志大戦』
Ver3.59から登場した。イラストは和田昌子。
『真・三國無双シリーズ』
詳しくは練師の項目を参照。
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