概要
本名は潘淑。潘皇后、潘夫人とも呼ばれる。1人の姉がいる。
揚州会稽郡句章県(現在の浙江省寧波市江北区)の出身。役人の娘として誕生し、父が罪を犯して処刑されてしまい、姉ともども織室に入れられた。孫権に見初められて側室になった。二宮の変が終結して孫亮が新たな太子になった翌年、皇后に立てられる。
孫権の看病疲れから自身も病臥していた時に暗殺されてしまった(動機は諸説ある)。孫権死後に陵墓である「蒋陵」に一緒に葬られることになった。
寵愛の后
孫権の寵愛の后であり、数多い寵妃の中でも潘皇后を別格の存在として大切に遇した。具体的には以下のように列挙する。
正式に孫権の皇后に立てられた唯一の人物である。罪人の娘(両親の名前も不明)という低い身分だったが、生前に皇后まで引き上げる。奴隷から皇后になった珍しい例でもある。
徐夫人と歩夫人の例のように孫権は嫉妬深い女性は好きではない。潘皇后は嫉妬深い女性だが孫権に寵愛がられている。
立后の際に慶事として改元し、大赦を行った。三国時代の立后には唯一の例だった。
孫権の寵愛ぶりや美貌ぶりが後世に伝えられるのは、潘皇后である。稗史においては憂いの美少女として知られ、孫権が「泣いても美しいのに、まして(私と一緒に)喜んでいる姿は」という理由で後宮に迎えられた。その後に孫権と行動を共にする記録が多い(拾遺記)。
それ以外、孫権の歓心を買うのに長けており、新興宗教である仏教(当時)という共通の趣味を持っており、一生懸命に病気の孫権を看病していたことなどから、夫婦仲が良いと思われる。
年の離れた夫婦
夫の孫権とは年の差が大きい夫婦とされている。
彼女の長男である孫亮(243年あるいは244年誕生)は孫権の三男孫和の長男である孫皓(242年あるいは243年誕生)よりも一歳年下である。このため孫和(224年誕生)と同一年代の人物と考えられる。
ロリのイメージが強い小虎は孫和の「姉」と記されており、もちろん小虎よりも年下である。