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周姫

しゅうき

中国後漢~三国時代の女性。周瑜の娘。呉の皇太子孫登の妃(正室)。周妃とも、

概要編集

周瑜の一人娘。母は不明または小喬。周循・周胤の妹。子に孫英。


『江西吉安周氏族譜』によると周瑜の家系図に周瑜の娘の名があり名を周徹(しゅうてつ)と言う。

最初、呉郡に住んだ。十六歳か十七歳の時に、孫権の意向により、長男・孫登の王太子妃に選ばれた。彼女は船に乗って、武昌に送り迎えされ孫権の優遇を受けた。

太子太傅の程秉は司会者を担当し結婚式を行い、孫登に夫婦の道を教訓した。

周瑜の子どもたちの中でも彼女と長兄・周循は優遇された。特に周循は孫権の長女・魯班を娶り期待も大きかったが早世。次兄・周胤は不品行を理由に冷遇され最後は流刑地で生涯を終えている。

また周姫の従兄弟・周峻(周瑜の兄の子)の子である周護に至っては任用すらされないなど周瑜・周循の死後、周氏はすっかり没落することになった。


ちなみに周姫の子である孫英は孫峻の専横を憎み暗殺計画を立てたが露見し孫皎の子・孫儀と共に自害に追い込まれている。


関連タグ編集

三國志  孫登

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