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三国時代曹魏文官

ウィキペディア記事によれば、清廉な人物であったらしい。




だが反三国志では…編集




警告!!この先ヘイト及びカニバリズム表現あり!












反三国志では原典で清廉さを謳われていたとは到底思えないような極悪人、曹魏の蛮行の最大の責任者として描かれており、馬騰誅殺のための献策と、退位後の劉協の独断での暗殺を行っている。(補足:劉協が殺られたのは劉備を皇帝にするため。劉備が天下を取った時に劉協が生きていたら帝位を返さなくてはならない)


ためにその顛末も惨憺たるもので、馬超が指揮する蜀漢軍が洛陽を制圧した際に尻尾を振るも言い訳無用とばかりに馬騰の仇として公開処刑された。これは完全に馬超の独断専行であったが、劉備も相手が劉協への大逆があったとて追認した。神経衰弱で病死した曹操の身代わりという意味もあった。


しかもその死刑の手法がまた残虐なもので、生きた状態から直火で炙って肉を一片ずつ削いでは食べていく(おまけに調味料までちゃんと用意している!)と、肉体的苦痛も精神的屈辱も最大級。

現行の蜀漢推しでもここまでやるかと思うであろう。

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