中華民族
ちゅうかみんぞく
現在の中国などは漢族のほか、モンゴル族、満州族、チベット族やウイグル族などの少数民族も中華民族を構成する民族として含まれている。中国共産党政権は、「中華民族」を「漢族と55少数民族の総称」と規定している。
清朝末期(20世紀)に君主制が廃止すべき革命派が「駆除韃虜、回復中華、創立合眾政府」をスローガンに掲げて辛亥革命と呼ばれる共和制国家の樹立運動を行い、辛亥革命が成功すると漢民族の革命派は立憲派や保皇派が革命派の排満論に対抗して提唱した五族不可分論である「五族共和」を採用し、1912年1月1日に孫文が臨時大総統就任宣言で「漢満蒙回蔵ノ諸地ヲ合シテ一国トナシ、漢満蒙回蔵ノ諸族ヲ合シテ一人ノ如カラントス」として清王朝の支配下にあった地域を統合しようとし、1921年に孫文は三民主義の具体的方策の中で「漢族ヲ以テ中心トナシ、満蒙回蔵四族ヲ全部我等ニ同化セシム」として満州族、モンゴル族、回族(ウイグル族を含む)、チベット族を同化することを提唱した。1925年には孫文は、外来民族は一千万しかいないとして、4億人のほとんどが漢民族であるので中国人は完全な単一民族であるとした演説を行い、漢民族によって中華民族という概念が形成された。
「中華民族」という単語が初めて公式に出てくるのは、1900年11月、清の政治家伍廷芳の講演とされる。その後、清時代のジャーナリストの梁啓超などが使用するようになる。梁啓超の著作では、1905年に書かれた歴史上中国民族之観察では、満洲族やモンゴル族、チベット族は中華民族に含まれないとしているが、1922年の「中国歴史上民族之研究」では満洲族を中華民族に含むとしている。1988年、費孝通が発表した「中華民族多元一体構造」論では、中国に住む諸民族は、数千年の歴史を経て形成された一体性を有するとしている。この「中華民族多元一体構造」は現在の中国の民族政策の基本路線を成すとされる。