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概要編集

(1953年1月29日 - 1995年5月8日)、中華圏で使用された名前は鄧麗君〈デン・リージュン〉。

生前から没後も「アジアの歌姫」と呼ばれている。


10歳の時、ラジオ局主催の歌唱コンテストで優勝。天才少女として注目を集め、14歳の時にプロ歌手としてデビューする。 16歳の時、主演映画が製作され、女優デビューを果たす。


1974年、21歳の時に日本での歌手活動を開始する。すでにアジアのスターだった彼女は、アイドル歌謡曲路線の「今夜かしら明日かしら」により鳴り物入りで日本デビューを果たすが、不発に終わった。そこで演歌歌謡曲路線に転向したところ、日本でのデビュー2作目となる「空港」が大ヒットする。第16回日本レコード大賞新人賞を獲得して日本でもトップ・スターの仲間入りを果たした。


その後も香港を拠点に、台湾や日本などアジア各地を行き来する多忙な日々を送っていたが・・・。


1972年の日中国交正常化の影響で、1979年2月インドネシアのパスポートで来日しようとしたため、旅券法違反で国外退去処分を受ける。


1984年、日本の音楽ファンの強い要望もあって、再来日が許可される。レコード会社もポリドールからトーラスレコードに移籍、荒木とよひさ作詞・三木たかし作曲の「つぐない」で日本再デビューを果たす。大ヒットし、日本有線大賞など数々の賞を受賞する。


翌1985年にリリースした「愛人」も再び荒木・三木コンビが手掛け、大ヒット。この曲で第36回NHK紅白歌合戦に初出場を果たす。1986年には、荒木・三木コンビによる三曲目となる「時の流れに身をまかせ」をリリース。これも大ヒットとなった。

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