概要
内モンゴル自治区は、中華人民共和国の内陸部に位置し、モンゴル国との国境のほとんどを占めている。また、中国とロシアとの国境の一部も内モンゴル自治区に含まれている。首都はフフホトで、その他の主要都市は包頭、赤峰、通遼、オルドスなど。
偽満州国が存在した時期には、内モンゴル東部は満州国の領域となっていた。満州国に協力するモンゴル人もいれば、反発して独立運動に身を投じるモンゴル人もいた。また、中国もこの土地を自国領と主張するなど、非常に複雑な状況に置かれた。1936年には、モンゴル人と中華民国軍が全面衝突する事件が起きたこともある。
1945年8月、ソ連対日参戦によるソビエト連邦軍(赤軍)とモンゴル人民共和国軍の攻擊に満洲国(一部が内モンゴル東部)と蒙古連合自治政府は崩壊する。ソ連軍とモンゴル軍は内モンゴル東部のみならず、チャハルや熱河省といった内モンゴル西部にも進駐し、その影響下で統一国家を目指す独立国家として内モンゴル人民共和国が成立する。
1947年、旧中華民国の綏遠・察哈爾・熱河・遼北・興安の各省と、甘粛・寧夏の北部地域を取り込んで設立された。モンゴル側では、この時、この地を中国から取り返そうとする動きが起こったが、主流とはならなかった。その理由は、清朝後期から漢族が入植した結果、この地の漢族人口は非常に多くなっており、モンゴル人の5倍となっていたためである。下手にこの地を取り返すと、莫大な漢族人口をも抱えることとなり、漢族に政治の主導権を奪われかねなかったのである。
ソ連とモンゴルは中ソ友好同盟条約に基づいて中華民国にモンゴル独立を認めさせる代わりに内外モンゴル統一の要求を取り下げた。以後、外モンゴルは独立国家として、内モンゴルは中国内の自治区としての道を進むようになった。
その面積は中国で3番目に大きい行政区画で、約1,200,000km²占め、中国の総国土の12%を占めている。東西に長いため、内モンゴルは地理的に東区と西区に分かれている。東部は中国の東北部に含まれることが多く、主要都市には通遼、赤峰、ハイラル、ウランホトなどがある。西部地区は中国の北西部に含まれ、主要都市には包頭、フフホトなどがある。2010年の国勢調査での人口は24,706,321人で、中国内地の総人口の1.84%を占めている。内モンゴル自治区は、中国で23番目に人口の多い省レベルの区分である。
この地域の人口の大部分は漢族で、少数派のモンゴル族は629.2万人(2020年)に近く、これは世界最大のモンゴル人人口である(モンゴル国の人口よりも多い)。内モンゴル自治区は中国で最も経済発展している省の一つで、一人当たりの年間GDPは13,000米ドル近く(2019年)で、しばしば全国5位にランクされる。共通語は汉語普通話とモンゴル語で、モンゴル語は伝統的なモンゴル文字で書かれており、モンゴル国(以前は「外蒙古」と表現されることが多かった)でモンゴル・キリル文字が使用されているのと対照的である。
歴史的に騎馬民族が活躍した地域であり、昔から牧畜が盛んである。
『原神』の璃月・層岩巨淵に関連するプロトタイプは内モンゴル自治区にある超大型鉱山「バヤンオボー鉱区」。それを裏付けるかのようにBGMにはモンゴル族の伝統楽器である馬頭琴が取り入れられている。
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