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概要

四神において北方を司る獣神霊獣)・玄武が元になって成立した神。玄武と同に様を司る存在であり、転じて海神となった。


媽祖と並ぶ海神の代表格として、また、北天系最高位の破魔武神として、中国台湾香港などで篤い信仰を受け続けている。


『捜神広記』の時代には、「北極駆邪院」という天界の重要な役所を仕切る主神格つまり「北帝神」として以前よりも格上げされている。


そして、その後には道教最高神の一柱である元始天尊の化身と見なされる様にもなり、「最高神」の一角に数えられるまで時代を経て昇格した事からも、玄天上帝(玄武)が中国の民間において非常に親しまれてきた事がうかがえる。


別名として「真武帝君」「真武大帝」「北極大帝」「玉虚師相」「玄天大聖」「開天大帝」「北極佑聖真君」「北極蕩魔天尊」などがある。


玄天上帝をまつる廟や寺院は真武廟、玉虚宮、玄天宮、北極殿などと呼称される。


玄武からの発展

玄武はの時代に宋朝皇帝の家系・趙氏の祖とされる趙玄朗の諱「玄」を避けて「真武」と呼ばれるようになった。


「真武」は玄天上帝の異称として引き継がれ、人型の神と見なされた以降の時代でも「玄武」と呼ぶ文献もある(『続蔵書』姚広孝伝)。


真武(玄武)は北帝(北極大帝)に使える北方四将の一柱(他の三柱は天蓬・天猷・黒煞)とされた。北帝は六天を統べる者とされたが、三清道祖元始天尊から指示を受ける立場とされる。


『太上元始天尊説北帝伏魔神呪妙経』では北帝が元始天尊の命で東北の方角に現われた魔性のものを討ちにに行くが、『元始天尊説北方真武妙経』では勅命により遣わされるのは真武神将となっている。


後者では彼がもともと浄楽国の太子であったという出自が加えられた。

かつて主君であった「北帝」のエピソードを玄武神が吸収したような形である。なお、北帝の名を持つ神は中国神話、道教に複数存在するが、玄天上帝もその名で呼ばれる事になる。


『太上玄天大聖真武本伝神呪妙経』では「北極」の名を冠した神名を持つ北極紫微大帝が玄武神に命令を下す立場として描写される。玄武神周辺の立場関係が再整理されたかのようである。


亀と蛇が合わさった姿の霊獣に起源を持ちながら、人型のイメージ、北方の神将としての性質を帯びる事になった真武(玄武)神だが、後世には亀と蛇の要素を体から切り離される事になる。


『玄天上帝啓聖録』では退治される六天魔王から生じた気が蒼亀と巨蛇に変じたとされ、玄天上帝の神威のもとに足下で従えられているとする。


玄天上帝の人間時代を描いた神怪小説『北遊記(北方真武祖師玄天上帝出身志伝)』では人界の穢れを帯びた内臓を抜き取った際にそれが亀と蛇に変じた、という形になっている。『西遊記』ではこの蛇亀二将が戦力として孫悟空に貸し与えられるシーンがある。


モチーフとして切り離されただけであり、上述の通り説話においても蛇亀二将は玄武とは別存在である。つまり、四神の一角としての玄武が妖怪扱いされたというわけではない。


こちらも玄天上帝や蛇将軍・亀将軍とは別個の擬人化された神・執明神君(玄武帝君執明)として神聖視されている。


伝記・事績

太子時代

黄帝の時代に生まれたとされ、『洞冥寶記引真武報恩經』『神仙通鑒』によると母の名は善勝天后、『諸師聖誕冲舉酌獻儀』によると父の名は浄楽天君。

道教文献で設定された太子(王子)時代の事績には仏教からの影響が見られる。

『三教源流捜神大全』等の伝記と比較すると以下の通り。

玄天上帝伝
浄楽国の王子浄飯王の王子
母の左脇から出生する母の右脇から出生する
誕生日は3月3日誕生日は4月8日
出生時、国を瑞雲が覆い、良い香りが立ちこめ、地の土が黄金や玉になる九竜が天より下って香水を生まれた釈迦にかけて灌浴とし、地下から蓮華が生えてきて足を支える
王位を継がず武当山に入る王位を継がずに出家し、山で苦行する
修行開始から四十二年で白日昇天し「玄天上帝」になる。苦行を辞めた後、35歳で悟りを開く

『玄天上帝啓聖録』では父王が彼の修行を辞めさせようとして遣わしたが逆に共感して従ってしまう「五百霊官」のエピソードがあるが、元となったワードは釈迦の生前の弟子たちであり死後の経典結集に参加した「五百羅漢」と思われる。

もちろん独自要素もあり、天帝から破邪の剣を授かり、修行を諦めようとしたが老婆が杵を針にしようとする様子を見て地道な修行に回帰するといったエピソードが彼の太子時代に含まれている。

昇天後

北帝のように魔を祓いに行くエピソードは太子が「玄天上帝」となった後のものということになる。『三教源流捜神大全』において六天魔王を討伐したのは紂王の時代と記される。

紂王が堕落して道を失い、六天魔王が諸々の神鬼を引き連れ衆生を傷つける、という状況が記される。元始天尊と玉皇大帝の詔が下され、北極紫微大帝経由で討伐の任務が彼に下される形になる。

武王が紂王を倒す「武王伐紂」と同時期に行われたとされ、王朝交替ともリンクした形となっている。

後世に『封神演义』として結実する物語の原型とみられているが、『演义』には玄天上帝についての言及は全く無い。

ただし上司の北極紫微大帝は姫伯邑考が封じられた神として言及される。


ベトナムの伝承ではハノイの西湖(タイ湖)に棲んでいた九尾の狐が彼の手で退治されている。


歴代皇帝からの封号

霊獣・玄武と未分化だった頃のものを含む。

封号号を勅封した皇帝
佑聖玄武霊応真君唐朝2代目・唐太宗
北極佑聖真君宋朝(北宋)初代・宋太祖
(宋聖祖・趙玄朗の諱を避け「玄武」から「真武」に改称)北宋3代目・宋真宗
鎮天真武霊応祐聖真君同上
北極右垣鎮天真武霊応真君北宋4代目・宋仁宗
佑聖真武霊応真君北宋8代目・宋徽宗
佑聖助順真武霊応真君北宋9代目(最終)・宋欽宗
北極佑聖助順真武霊応福徳真君南宋4代目・宋寧宗
北極佑聖助順真武福徳衍慶仁済正烈真君南宋5代目・宋理宗
元聖仁威玄天上帝元朝2代目・元成宗
玄天上帝明朝初代・明太祖(朱元璋
真武蕩魔天尊同上
北極鎮天真武玄天上帝明朝3代目・明成祖

配下

部下として趙元帥(趙公明)や馬元帥(華光)、前述の亀蛇二将(亀将軍・蛇将軍)のほか、武当山での修業時代に出会った黒虎も「黒虎将軍」として言及される。

  • 三十六位天将

三十六位天将には『封神演义』において神として封ぜられた者も含まれる。代表として「四大護法元帥」が挙げられる。いずれも文献や寺院での祭祀例ごとにメンバーが変動する(三十六位天将のリストについてはこちらを参照)。


信仰

道教に伝わる符術においても本尊として祀られる。このほか武神としても高い位にあり、関聖帝君(神格化された関羽)や哪吒太子二郎真君に司令を下す立場にあるという。

彼の聖地の一つである武当山は武術道場としても有名である。


『太上玄天大聖真武本伝神呪妙経』『三教源流捜神大全』等では太上老君の82番目の化身とされる(『北遊記』では玉皇上帝の三つに分けられた魂の一つが大元になっている)。


玄天上帝について言及した道教テキストとしては『太上說玄天大聖真武本傳神呪妙經』『元始天尊說北方真武妙經』『北帝說豁落七元經』『北極真武佑聖真君禮文』『玄天上帝說報父母恩重經』等がある。


明朝世祖・永楽帝はこの神に深く帰依し、彼の代において聖地・武当山の宗教建築の増築がなされた。

明代にいて北方守護の神として祭祀され、紫禁城内に玄天上帝を祀る欽安殿が建てられている。


江南地方においては関聖帝君、鍾馗と並び、悪しき存在を打ち負かす退魔の神「三伏魔帝君」の一人とされる。


図像表現

北天の神として、北斗七星を象徴する七星剣を持物とする。剣を持たないほうをの手を腰もとにあてるほか、一本指を伸ばした手印(単純な「握り拳+一本指」という形ではなく、他の指の組み合わせ方は複雑である)にしている像もある。

もう一つ、裸足である、という特徴を持つ。指をこの手印にせず、七星剣を持っていなくても、足下に亀蛇がいて、裸足の男性神の像であれば玄天上帝を象ったものであると判断できる。


成都青羊宮の真武大帝像では「第三の目」が描写されている。


関連タグ

老子:歴史上の人物としての老子は太上老君の18番目の化身とされている。

九天応元雷声普化天尊:同じく裸足の姿で描写される道教の武神。

妙見菩薩:玄武の影響を受けた大乗仏教天部。亀蛇に乗る像がある点も共通する。

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