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概要編集

道教における。中国語ではチャオ・コンミン(Zhao Gongming)と呼ぶ。黒面で黒虎に跨り金鞭を持つ姿で知られる。最古層の資料では疫病を司る神として言及されるが、時代がくだると道教護法神や財神としても崇められるようになり、現在では福の神としての印象が強い。大黒天が変じた姿という説もある。


生誕日は農歴(中国の旧歴)三月十五日とされる。


姓名編集

『道法會元』卷二百三十二「正一玄壇趙元帥祕法」によると、姓は趙、名(諱、いみな)は昶、字(あざな)は公明。

『三教源流搜神大全』では名は昶あるいは朗、字は同じく公明。


『道法會元』巻二百三十五「正一玄壇飛虎都督趙元帥秘法」では趙公明の字を子常とする。


別名編集

『道法會元』卷二百三十二「正一玄壇趙元帥祕法」では彼が持つ元帥号として「高上神霄玉府大都督」「五方巡察使」「九州社令都大提点」「直殿大将軍」「主領雷霆副元帥」「北極右御史」「三界定元昭烈侯」「定命掌事帳設使」「主管神霄龍虎玄壇」「金輪執法如意趙元帥」が記されている。


「玄壇」とは、道士が集団で暮らし修行や儀式を行う宗教施設「道観」の異称の一つ。彼の代名詞的ワードの一つであり、趙玄壇、玄壇趙元帥、玄壇元帥、玄壇真君ともいう。


財神としては「正財神」、また関聖帝君と同様に「武財神」とも呼ばれる。

台湾では彼が寒がりという民間伝承があり「寒単爺」とも呼ばれる。


神徳編集

多くの神将、神兵を率いる元帥、大将軍であり、彼自身もより高位の神が率いる「三十六元帥」「三十六天君」のメンバーとして言及される事もある。


彼自身も天から指令を受け、三界、五方、あらゆる土地を渡り行く神。雷電を使役し、風雨を呼び、瘧(マラリア)のような疫病を除き、病気の症状を取り去り災いを祓う。

正しさに則り全ての邪を拒絶する神であり、冤罪から人を救って公正な裁きをもたらし、正しい商売を助ける神ともされる。

瘟神として編集

趙公明は六朝時代(220~689年)の文献に記載の残る古層の神仙である。この時代の道教経典『真誥』巻十では天からの命を受け、人々に死と災いをもたらす神格として言及される。志怪小説集『捜神記』巻五では原因不明の病にかかり死に瀕した王佑という人物が、趙公明の部下である鬼と出会い、冥府の官吏となることを薦められるが、他に身寄りの無い母親を養うために辞退する。王佑の親孝行ぶりと清廉さに感心したその鬼から病気を癒やされ、災いを避ける紅筆を10本譲り受けている。

王佑が紅筆を贈った相手達は疫病や兵乱の最中にも生き延びた。

当時「上帝が趙公明、鍾士季などの三将軍に鬼を率いらせ、人の命をとって回らせる」という内容の妖書があったといい、王佑もこれを見ている。

『女青鬼律』では、彼を含む「五方鬼主」とそれぞれに対応する方角(中央と四方)と司る病の種類について記されている。メンバーは劉元達、張元伯、趙公明、鍾士季、史文業であり、趙公明は西方の鬼主で、炁(気)の病を司るという。また、彼等の名を知り、書き写してこれを身につけ読む者からは疫病が去るとされる。

道教ではこうした疫病神を「瘟神」という。「五方鬼主」は「五瘟大帝」とも呼ばれる。彼等は疫病を鎮める「五福大帝」として現在も信仰されている。


護法神として編集

『道法会元』巻三十六「正一馬趙溫關四帥大法」では、馬元帥(華光)、温元帥(温瓊)、関元帥(関羽関聖帝君)と共に「四大護法元帥」に数えられる。


『三教源流搜神大全』巻四「趙元帥」によると、道教宗派の一つ「正一教」の開祖張道陵が龍虎山にて金丹を練っていた際に彼を守護したといい、玉皇大帝から「正一玄壇元帥」の号と共にその任務につけられた。

張道が地上を去った後、趙元帥は龍虎山を護り続けているとされ、ここに多くの道教寺院が築かれた。


財神として編集

財神

『三教源流搜神大全』の記事では商売人を助けてくれる神仙として記される。『道法會元』卷二百三十二「正一玄壇趙元帥祕法」では彼が叶えるのが公平な売買のような正しい事柄に基づく願いであることが記される。


明代の神怪小説『封神演義封神演义)』終盤で、彼の二人の弟子(陳九公と姚少司)含む四名が財神となり、「部下四位正神」として封神後の趙公明の補佐役となる。

『封神演義』は道教信仰そのものに影響を与え、四名の財神を率いる者として趙公明も財神と認識されるようになった。この五名は「五路財神」として寺院で祀られている。


和合の神として編集

天地人の和合(調和)を司る神とされる。部下たちもまた、天地自然の各要素に対応している。

八王猛将は八卦、六毒大神は天煞地煞年煞月煞日煞時煞(「煞」は「殺(杀)」に通ずる語で不吉な神や邪気を意味する)、五方雷と五方猖兵は五行、二十八将は二十八宿に対応する。また、天和地合二将は天門と地戸の開閉を象り、水火二営将は春生秋煞(春に芽吹き、秋に枯死する)という季節の往来を象っている。


「正一玄壇飛虎都督趙元帥秘法」には兄弟姉妹間、家庭内など、様々な立場の他者との和合をもたらすとされる「又和合符」についての解説がある。


出自編集

『道法會元』卷二百三十二「正一玄壇趙元帥祕法」によると、終南山の人で秦の時代に山中にて修行したとされる。『三教捜神大全』巻四「趙元帥」ではその切っ掛けとして当時の暴政を挙げ、これを避けて入山したとする。両書とも彼を「人」と書くが、同時に「皓庭霄度天(道教の世界観における天界の一つ、二十五層目の天)慧覺昏(皓廷霄度天の天帝)梵炁(混元の氣)化生(生物的な出生ではない、氣からの分裂や発生)」であるという見解を記している。


明代の『琅琊金石辑注』や現存しない『典籍實錄』という文献からの逸文として彼がもともと「日之精」であり、堯の時代に后羿が射落とした九の太陽のうちの一つとされる。残る八の太陽は『琅琊金石辑注』では海上八仙、『典籍實錄』では鬼王となっている。


明代の『姑蘇志』や『嘉興府志』といった資料には趙公明が三国時代の将軍趙雲(趙子龍)の従兄弟とする説の存在について記されている。


清代に姚福均が書いた『鑄鼎餘聞』卷四「玄壇」や、ここで参照される顧祿の著作『清嘉錄』巻三「三月」(こちらのスキャン画像ページでは40番目)ではこの神を回族とする信仰について記されている。それによると、豚肉を食べない彼に対しては燒酒と牛肉で祭祀をするといい、これを俗に「齋玄壇」と称するのだという。

回族の人物が道教寺院で祀られる例としては明代の宦官鄭和のケースがある。


図像表現編集

「正一玄壇趙元帥祕法」では鉄色の顔、円い眼、黒い鬍鬚(あごひげ)。鉄の幞頭(頭に巾子を乗せさらに布で巻く被り物、またはここから発展した冠)を被り、そこに黄色い抹額(冠の縁に巻く鉢巻き)をしている。

※同書冒頭の文では「頭戴鐵冠」とあり、ここでの「幞頭」は「幞頭冠」を指すのかもしれない。

身には金甲を被り、大きく包み込むような袍を着込み、緑色の靴を履く。

右手には二十四の節がある鉄鞭を、左手には鉄索(鉄製の縄、図画では鎖のように表現される)を持つ。傍らには黒い虎が付き従う。冒頭の文では趙元帥はこの虎に跨がっている。


『清微元降大法』巻二十三「上清西霊宏元大法」では通天冠(天子の冠、山型のフォルムで梁型のパーツを備える。冠としては清代に廃止されているが、道教神像が被る冠として用いられている)を被り、赤黒い顔をして、聳えるような眉毛に、眼は三角形、美須(美しいひげ)を生やす。

金甲と朱衣を纏い、朱い履き物、仗剣を身につけている。

また別パターンとして紅色の抹額が巻かれている交脚幞头(本体後ろ側から突き出た二つの帯状パーツが前上部で交差している冠)を被り、金甲と玄衣を着て、鞭を持ち、靴を履き、黒虎が従うという形も記されている。


趙公明像が伴う虎の毛色は多くの場合真っ黒だが、黄色やオレンジだったり、やや黒っぽい毛色の虎という色合いである事もある。

この虎は「黒虎応願大神劉忠」という固有名を持ち、張道陵が乗る虎と同一存在とされる事もある。


寺院に祀られる像においては、硬鞭のほか、近代まで用いられたインゴットもしくは馬蹄型の貨幣「元宝(銀錠)」や、金銀財宝を集め何度取っても尽きる事の無い鉢「聚宝盆」、「招財進寶」等の金運財運向上の字句が記された宝印を持物とする事が多い。


神怪小説『封神演義』編集

小説『封神演義』では人間以外の動物・植物・無生物・森羅万象出身者からなる「截教(Jie Jiao、ジェジャオ、せっきょう)」の一員として登場。

黒虎に乗り硬鞭を武器とする等の特徴を原典から引き継ぎつつも、瘟神要素はなくなり、そちらは呂岳担当になった。


峨眉山羅浮洞の洞主で、仲間である聞仲からの依頼を受けて殷王朝に加勢したとされている。

宝貝として黄龍真人をとらえた「縛龍索」、使えば五色の光を放ち敵を攪乱する「定海珠」を保有する。


最後は陸圧道人が持つ釘頭七箭書の力で呪殺され死亡。太公望により「金龍如意正一玄壇真君」として封じられて神の座に着いた。

本作では敵側の入れ替わりはかなり激しいため、決して突出して出番が多いわけではないが、剛毅で友情に篤く、不利と理解しながらも聞仲の求めに応じるなどの姿から、創作での登場頻度は高い。


藤崎竜の漫画編集

ゲーム版・ドラマCD版の声優子安武人。アニメ(覇穹)では興津和幸

使用宝貝・縛竜索(ばくりゅうさく)、金蛟剪(きんこうせん)


聞仲や妲己と並ぶ金鰲三強の一名と畏れられる、巨大な花が原型の妖怪仙人。崑崙山脈と並ぶ仙人界「金鰲島」で、指導者の通天教主の下で妲己と共に大幹部を務めていたこともある大仙人である。


人間界で九龍島四聖魔家四将との戦闘被害を受けて西岐地方が殷王朝に対し宣戦を布告すると、通天教主の命令により西岐を推す崑崙山脈を滅ぼすため聞仲の元へ派遣された。

しかしこの後の物語展開で明かされるように、通天教主はこの時点で既に妲己の手により正気を失い、金鰲島の運営は妲己に従う王天君を筆頭とする十天君がまとめている状況だった。よって実際には、妲己が殷王宮内での聞仲との対立関係を自分たちに比肩する実力の趙公明に仲裁してもらうよう裏から手を回した結果、彼がやって来たと思われる。


濃い顔にフランス貴族のような出で立ちで、華やかで美しいものを好む。大きな目的は無くただ単に戦うことだけを求める、いわゆる戦闘狂愉快犯。そのため過去には単身崑崙山に乗り込み元始天尊に撃退され、崑崙山と金鰲島の関係を悪化させる。

申公豹曰く、三強らしく妲己や聞仲と同様に作中で物語開始以前から女媧の存在に気付いていた数少ない一名だったが、その性分のせいか特にその陰謀にまで興味をもつことはなかった様子。


乗馬用鞭の形をした宝貝「縛竜索」と大型のハサミの形をした七色の龍を召喚するスーパー宝貝・金蛟剪を持つ。戦いには自分なりのポリシーも持っている。

太公望と戦いに一度は勝利したものの、復活の玉で蘇生しパワーアップした四不象と太公望の打神鞭により、妖怪形態の原形の弱点を突かれ封神された。


妹に雲霄三姉妹が居る。


他の作品における趙公明編集

古典編集

100回本の第51回にて馬、趙、温、関の四大元帥が広目天が連れた部下として登場。

  • 八仙東遊記

八仙と龍王との間に戦いが勃発した際、玉皇大帝は上記の四大元帥にそれぞれ二十万あまりの軍勢を牽きいらせて八仙を捕縛するように命じる。

  • 北遊記

第11話「祖師下凡收黒氣」において風清洞をねぐらとし、世を乱す気を発する人食いの怪物「黒煞神」として登場。姓は趙、名は公明、号を文明とする。主人公の真武(玄天上帝)に調伏され、配下の三十六元帥の一人「都掌金輪如意趙元帥」となる。七人の手下がおり、それぞれ李便、白起、劉達、張元伯、鍾士貴、史文恭、范巨という。手下の名称のうち張元伯と鍾士貴は五方鬼主メンバーから、白起は『道法會元』巻二百三十二「正一玄壇趙元帥秘法」記載の部下からの流用となっている。

手下一人目の李便が原典の黒虎に対応し、彼の尾は三十三丈(約100メートル)程もある三十二節の硬鞭となり、親分の得物となる。

使い手にとっては鴻毛(鳳凰の凄まじく軽い羽毛)のように軽く、受ける側にとっては泰山のように重い、という強力な武器だが、真武の配下の蛇精が化けた三十二丈の鞭とのぶつかり合いとなり、李便は死んでしまう。

逃げ出した趙公明だったが、隠れた場所で道士に化けた真武に先程の蛇精が小さく化けて入り込んだ茶を飲まされて生殺与奪を握られ、軍門に降ることに。


現代の作品編集

額にサングラスをかけ、バイクウェアの上にボア付きのロングコートを羽織ったアウトロー風の褐色肌の青年として登場。得物は金色の金属パイプ。バイクウェアの襟の模様やネックレスに鎖のモチーフが使われている。

「進化」版「奮迅ノ元帥神 趙公明」では黄色ベースに稲妻のような黒のラインの入った違法改造感のある大型バイクを駆る。

「神化」版「財神 趙公明」では手に元宝を持つ。またイラストに雲霄三姉妹らしき三人の女性が描かれている。

CV:黒沢ともよ

三国志以前の時代や伝説、中国神話の人物・存在モチーフの「華」陣営に属するキャラクター。黒のメッシュが入った金髪に左右で色の違うケモ耳を持つ少女。瞳の色も左右で異なり、右目:青、左目:紫のヘテロクロミアとなっている。

もこもことした茶トラ等のもっちりとした猫達を連れている。


関連イラスト編集

思案


関連タグ編集

封神演義 貴族

桐敷正志郎

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