概要
中華圏では知名度が高く、寺院で祀られる神仙であると同時に縁起物のモチーフともなっている大衆的な存在。
日本における七福神に近いポジションを占めている。
かつてはメンバーに異同があったが、『八仙東遊記』の影響もあり、明代末に以下の形で定着した。
その代表的な持物は、「暗八仙」として彼等自身を表わすシンボルとして図案化されている。
これに対し「暗八仙」を持つレギュラーメンバー自身のことは「明八仙」という。
レギュラーメンバー
- 李鉄拐(Li Tieguai、リーテッグァイ、りてっかい)
鉄拐李 (てっかいり、テッグァイリー)とも。粗末な身なりをした男仙。「拐」とは中国語で松葉杖を指す。彼は鉄製の拐をついて歩いていたともいう。
太上老君に霊魂だけに逢いに行ったが、戻ってみると死んだと誤解され肉体が火葬されてしまっており、行き倒れた足の不自由な男の遺体に魂を移したとされる。
- 鍾離権(Zhongli Quan、ツォンリークァン、しょうりけん)
五代十国時代の人とされるが、漢朝に仕えたという伝承があり「漢鍾離(Han Zhongli 、ハンツォンリー、かんしょうり)」とも呼ばれる。
漢滅亡後は晋の将軍となるも戦に敗れ終南山に逃れる。そこで遭難しかけたところで東王父と出会い弟子となった。
- 呂洞賓(Lü Dongbin、ロイドンピン、りょどうひん)
鍾離権の弟子の一人で、剣を背負った剣仙として知られる。教養人であったという伝承から彼の作とされる様々な詩歌や書物が編まれた。
託宣儀礼「扶鸞」において特に崇められる神仙の一人で、扶鸞の流れを汲む恩主信仰では「呂恩主」とも呼ばれる。
- 藍采和(Lan Caihe、ランツォイウォー、らんさいわ)
少年あるいは青年の姿で描写される事が多い仙人。男性とも女性ともされる。
仙道の教えが秘められたリズミカルな詩と共に踊り、つられて踊り出す老若男女を引き連れ練り歩いたという。
- 韓湘子(Han Xiangzi、ハンシャンツー、かんしょうし)
偉大な文人として知られる韓愈の甥。謹厳実直な韓愈が諭すも学問には手をつけず、酒を好み風流を愛し、気ままに放浪する暮らしをしていた。
彼は叔父に対して予言を残し、後にそれが的中した事が切っ掛けで韓愈は彼が自分の計りしれない知恵を持つ事に気付き、ひとかどの相手として向き合う事になる。
- 何仙姑(He Xiangu 、ホウシングー、かせんこ)
八仙の中で唯一女性と断定される仙人。古典においては仙女のほか、道士や巫女として描写される。
仙人からもらった桃を食したり、夢で逢った神人の教えに従い雲母の粉を服用して仙人に近づいていったという。
- 張果老(ちょうかろう、チャングォロウ、ちょうかろう)
世界が混沌だった時代に天地の気から成った白蝙蝠の精が、久遠の時を経て人と為った存在とされる。死んでも蘇り、歯が折れ髪を自ら引き抜いても目に見える速さですぐ生える、乗り物の驢馬を変化させて箱に出し入れする、予言を行う等、スケールの大きい出自に仙人の特異な諸能力を詰め合わせたような特徴が描写されている。
- 曹国舅(Cao Guojiu、ツォウゴッカウ、そうこっきゅう)
「国舅」とは天子の外戚、皇后の兄弟を意味する語。彼は北宋4代目皇帝仁宗の后曹皇后の弟。
彼女の兄弟は複数いるが、八仙となった人物の名は佾(いつ)、字は景休(けいきゅう)という。
彼のそのまた弟に曹景植という男がおり、彼は姉の威光を悪用し、我欲を押し通し数々の悪事をなした。
曹佾は弟を諫め諭したが、逆恨みされる始末。天の定めを恐れ弟の不徳を埋め合わせる為にも自分の財産を他者に施す等の善行に励んでいたが、弟が他の役人から告発を受けたのを機に自らも官職を辞し、隠遁した。
その中で修行を行い、やがて呂洞賓と鍾離権と出会い、仙人仲間として迎えられたという。
メンバー候補
- 張四郎(Zhang Silan、ツァンシーラン、ちょうしろう)
「張侍郎」とも。現在では殆ど見られなくなったが、初期メンバーの一人だった。『呂洞賓鉄拐李岳』等に登場。『呂純陽点化度黄龍』では秦巾を被り、雲鶴道袍を纏い、不老の葉(不老叶)、巾着袋、組み紐、笛を所持していたと描写されている。
『脈望館鈔校本古今雜劇』という作品では「魚を釣る」という特徴が記されている。
- 徐神翁(Xu Shengweng、シューシェンウェン、じょしんおう)
本名は徐守信。泰州海陵(現在の江蘇省如皋市)の人。曹国舅と同じく宋仁宗の時代の人物。「虚静冲和先生」とも呼ばれ『虚静冲和先生徐神翁語録』という文献が伝わっている。かつては『呂洞賓三酔岳陽楼』等の多くの作品で八仙メンバーとして数えられていた。
- 劉海蟾(Liu Haichan、リウハイチャン、りゅうかいせん)
五代十国時代の人物で後梁に仕えた。幽州幽都県(現在の北京市南西部)の人。道号は「海蟾子」。年少にしてその学識で名を挙げ、高位の大臣にまで上り詰めるが、ある日出会った道士にその地位の儚さを示され、職を辞して自らも道教の修行者となり、やがて呂洞賓と出会って弟子入りした。
道教宗派の一つ・全真教では師の呂洞賓と共に「全真五祖」に数えられるなど、神仙としてかなり重要視される存在である。
『列仙全伝』では八仙の一人に数えられているが、共通認識とはならなかった。