概要
鬼の◎◎を××して食い殺すことで有名な神様。
「大鬼」や「鬼王」などと表現されることもあり、きっと鬼も逃げ出す強面なのだろう。
道教の鍾馗
鍾馗に関しては諸説存在するが、唐の時代に実在した人物とされている。
江南地方においては関聖帝君、玄天上帝と並び、悪しき存在を打ち負かす退魔の神「三伏魔帝君」の一人とされる。
日本では、疱瘡除けや学業成就に効があるとされており
端午の節句に絵や人形を奉納したりする。
京都を中心に近畿地方には屋根の上に鍾馗の像を置く慣習がある。鬼瓦としてデザインする例や、足場をもうけて像を置く例、小さな祠のようなものの中に収める例がある。
七福神の絵においてメンバーが鍾馗と入れ替わっていた例がある。
平成25年(2013年)12月、若宮八幡宮社(京都市東山区)の境内に日本初となる鍾馗神社が建立された。神体となった像の制作は陶工の吉田瑞希(@mizukichi0503)が担当。
戦闘機の鍾馗
中国神話の鐘馗
漢字は「鐘馗」と表記され、鍾馗は日本での略字表記。中国唐の時代の説話・逸話・伝承のような形で登場する人物であり、それを後代において神としたものと解釈される。
中国神話の一面として紹介された鐘馗(空想された神話のとしての一面)
終南山のと或る村に、「鐘魁(鐘馗と同じ発音でZhong Kui)」と言う名の、容姿端麗,頭脳明晰な青年が居た。駆邪豪傑と称される後の鐘馗だ。
唐開元元年七月初七日午時三刻(唐代が始まって一ヶ月半後の現在の午後1時頃)、村の住人鐘學究と李氏夫妻の間に丸々と太った男子が生まれた。年号が新たになったその時に生まれた事から、夫婦はこれも何かの縁(おぼしべし)と考え、この子を官使(科挙状元)にさせるべく学問を身に付けさせようと考えた。
名前も、漢代緯書の「孝経援神契」の中に書かれた、「魁の名を持つ多くの者は、科挙状元の人となっている……」と言う事から、彼らの息子にも「魁」と名付ける事にした。夫婦はお互いに君子協定を設けて、鐘魁の養育は妻が専念し、教育は夫が専念する事とし、鐘魁の名に恥じぬ子供になるよう、正しく育てることを誓った。
「三歳看小,七歳看老(三歳で少年時代の形成を、七歳でその後の形成を見る事が出来る)」と言う古事になぞらい、子供の将来像と言うものは、その年代で全て見る事が出来るという教訓から、彼が2歳の頃からその準備を始め、元々彼ら「鐘」姓の血筋が良かった事も手伝ってか、夫婦の思惑以上に賢く育った。
十三歳で儒学生(秀才)の称を得て、十五歳には、最年少で国子監学生(国子監:古代教育行政管理機構の最高学府)となる。その三年後にトップで国子監を卒業し、十八歳にして状元試験を受ける資格を得た。
それと同じくして、近隣の村には、鐘魁が現れる迄聡明な青年として名の知れた「杜平」と言う若者が居たが、鐘魁の名声が高くなり、大衆の杜平への感心が薄れて行くに連れ、鐘魁への思いが次第に羨望から憎悪へと変わって行った。自分と同様に、状元試験で都(長安)に上京する事を知った杜平は、事も有ろうか、鐘魁を陥れる策略を企てた。
先ず、相手に自分を信じさせる為に、友人となるべく近寄った。鐘魁が、親の勧めで自分の村の近くに観光に来ていると知った杜平は、鐘魁が書画に溺愛している事を利用し、自らしたためた書を贈呈。それをきっかけに、同じ趣向を持つ親友として偽りの関係を気付く事に成功し、鐘魁の性格や嗜好や習慣などを知って行くのだった。知れば知るほど、非の打ち所が無いほどの好青年である事を悟って行く杜平。それと同時に、積年の憎悪も更に増殖して行くのだった。そう言う鉄壁な鐘魁だったが、たった一つの万人的な欠点というか、「無類の酒好き」と言うクセが有る事を知るにはさほど時間は必要としなかった。
そのクセを利用し、科挙状元試験で上京する途中に手を下すことを決意。数日後に試験を控えた夜だったが、宿主に化けた杜平に酒を勧められ、元々無類の酒好きなだけに断り切れず飲んでしまった。酒に手を付けると、泥酔するまで飲んでしまうクセがある鐘魁は、試験を控えた大切な身にも係わらず酩酊してしまう。酔いながらも杜平を探す鐘魁に、宿主に化けた杜平が、「杜平さんは、この先に有る洞穴の方へ行かれましたよ」と、彼が仕組んだ罠へと鐘魁を誘導してしまった。そして鬼が住むと言い伝えられている洞窟に誘い込まれた鐘魁は、そこで出くわした十八鬼王の一人「白須大王」に顔を潰され、普段は黒褐色で感情が高まると赤く変化すると言う鬼と同じような顔にされてしまった。
気を失っていた鍾魁が目を覚ますと、そこは宿の部屋だった。さっきの事件を思い出した鍾魁は、傍に居た杜平に手鏡を要求。そこに写った自分の姿を見て愕然とした。鬼の様な形相になっている自分の姿を見た鍾魁は、鬼…「鬼」の字は、自分の名前「魁」から、今まででも気に留めていたものだったので、鍾魁は今までの名前を封印し、新たに九つの首を持った鬼をなぞって、皮肉にも読みが全く同じ「馗」の文字を己の名に差し替えてしまった。これが「鐘馗」としての自分のスタートとなるのだった。
翌朝、怪我を圧して科挙試験に挑んだ鐘魁。合格者は、鐘魁をトップに杜平、干虚耗以下65名。だが鐘魁は、提出した答案用紙に昨夜自分で改名した「鐘馗」を記してしまった為、試験はトップだったものの結果は「不合格」だった。実際の成績を手に、試験官や上官で楊貴妃の兄ですこぶる美男子の楊国忠らに訴える鐘魁だったが、事情を知らない彼らは、「官吏へ昇る人材はその容姿も条件に入っているのだ」と言い、どす黒く醜い顔の鐘魁を全く相手にする事無く退けた。
意気消沈し切った鐘魁はその場を後にした。宰相府の午門をくぐり、九龍橋を過ぎた所に有る金塀へとおもむろに飛び乗った。故郷の人たちに顔向けできないと思った彼は、そのまま己を地面に打ち付けるように飛び降り、その頭を見事に散開させて自ら命を絶ったのだった。傍に居た杜平は驚き、しこたま血しぶきを上げながら倒れている彼を抱き上げ彼の名を呼び叫んだが、鐘魁が再び戻って来る事は決して無かった。
科挙状元試験の結果報告を受けた玄宗皇帝は、期待の魁星青年鐘魁が受かってない事に気付き、側近達にその詳細を問うた所、そこで初めて鐘魁が辿った非業の経緯を知らされ、その事を悔やみ哀れんだ。玄宗皇帝は、自ら鐘魁の墓前へと赴き屍に手を合わせ、将来必ず着る筈だった位階の袍「大紅袍」を進呈しようと考え、彼の骸にかけてやった。
自ら命を絶った鐘魁は、当然地獄への道程が待っている筈だったが、「おぬしの様な人間(人材)を、そのまま地獄に流してしまうのは誠に以て口惜しい。どうかな、ものは相談じゃが、人間に憑く鬼を退治する役割を受けてくれないか?」と、そこの責任者である閻羅王(閻魔大王)の計らいで新たな活路を与えられ、まさしく改名した「鐘馗」としての人生が始まるのだった。
鐘魁が鐘馗として生まれ変わった最初の仕事は、その時代の元首で、鬼の呪縛により病に耽ってた玄宗皇帝を、鬼の呪縛から解くことだった。
鐘馗が玄宗皇帝の枕元に現れると、同時に邪鬼達がその醜い姿を現した。鬼は玄宗皇帝のみならず、妃の楊貴妃にまでその魔の手を伸ばしつつあった。楊貴妃の装飾品を弄びながら部屋中を暴れ回る邪鬼達。すると、姿が露わになった事に気付いた邪鬼達は、驚いて騒ぎ始めた。「お前か!」と、目の前に立ちふさがる大男の鐘馗を凝視して襲いかかったものの、邪鬼達はあっと言う間に一網打尽に片付けられてしまった。
その様子を頑なに見守っていた玄宗皇帝は、「おぬし、名を何と申すか?」と問い掛けると、「我は終南山進士で名を鐘馗と申します。玄宗皇帝におかれましては、ふがいない私如きの墓前に大紅袍を授けて下さった上に、暖かき経も賜って感謝しております。つきましては、駆邪の命を賜って早々に、その恩人が不治の病に伏せられている事と聞きつけました故、何に代えてもと馳せ参じた次第です」と答えた。
と或る日の状元試験で「鐘魁」が自害した時の事を思い出した玄宗皇帝は、「いやいや、あれはわしたちの…」と詫びようとした所、豪傑さながらの容姿を小さく丸めて丁寧に礼をする鐘馗は、その優しさをかみ締めながら、そのままの姿で消えていった。
(ここでの逸話で、鐘馗はその容姿に似遣わぬ「香袋」を持っているが、この時楊貴妃に戴いて、とても喜んでずっと持っているのだ……との言い伝えもあったりするんじゃ)
我に返って目を覚ました玄宗皇帝は、直ぐに百工坊(古代の皇帝には、手に職を持つ匠を側近に養っていた。百人ほどの匠が集まることから、「百工坊」と称された)から絵師を呼びつけ、今見た鐘魁の「鐘馗の姿」を絵にたしなめさせて、皆にその時の出来事を語った。
この神話が言い伝えとなり、鐘馗は中国で「鬼から家を守る鬼神」として崇められ、厄除けや呪符や守護としたのだが、何で容姿がふとっちょさんなのかは不明…(痩せた絵も多いけど、ふっくらさんが多い。きっと酒の飲み過ぎ)。
その後、杜平との因縁から始まり、世の中の鬼を退治する武勇伝もあるんじゃが、283頁も訳せないンでこの辺で。
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(式神の類として描かれることもある)
資料著書のはしがきに書かれていた一節。
「夢」は人の持つ思想の一つ。その概念が人の死後に現れ、その邪鬼に思想や思惑や理念がとなって膨らみ、そしてその姿は神となる。
(夢--霊魂放出--霊魂不滅--鬼--神--天帝)
以上、中国出版神話物語「鬼中豪傑--鐘馗:周濯街著」より抜粋。
翻訳:こまちゃん(http://www.pixiv.net/member.php?id=3221706)
余談
関連イラスト
関連タグ
道教 守護神 鬼神 破魔 退魔 魔除け 悪霊退散 鬼退治 ゴーストバスターズ
神虫 - 鍾馗含める他の護法善神達と共に描かれている事もある。
まんが日本昔ばなし - 京都における謂れを紹介した回がある(『あの鬼こわい』)。