概要
日本では一人の神として知られているが、中国では三人一組の神々である。
福禄寿を一柱の神として捉えるのは日本独自のもので中国語版ウィキペディアでは日本の七福神としての福禄寿が「福祿壽 (日本神祇)」という独立項目で解説されている。
木星を神格化した福星の神、大熊座を構成するミザールを神格化した禄星の神、竜骨座を構成する恒星カノープスを神格化した寿星の神、からなる。
三人の神の名前を合わせると「福・禄・寿」となる。要するにチーム名である。
福星の神は子宝を、禄星の神は財産を、寿星の神は健康と長命の両立を授けると言われている。
カノープス星を司る寿星神は南極老人とも呼ばれる。寿星単体の神として、日本では「寿老人」と呼ばれる。
日本における七福神には寿老人が含まれるが、同一視によりメンバーに空きができた場合、代わりに吉祥天や猩々が入ることもあった。
中国における福禄寿
「福禄寿三仙」「福禄寿三星」ともいう。
福星
福禄寿の中心に立つ木星神。如意(読経の時に手に持つ仏具)、元宝(古代の貨銭)、揮春(めでたい言葉が記された赤い紙。中華圏において春節に貼り出される)を持物とする。何らかの神仙の化身とする説があり、本体としては天官大帝、太乙天尊、守財真君が挙げられる。
禄星
福禄寿三人のうち、向かって右に立つ。如意、玉板(中国における「笏」)を持つ。文運(文明・文化の発展する様子やその原動力)、官祿(官位や棒禄)を司る。「立身出世」系の財神であると言える。五代十国時代以降、送子張仙という子供を護り、生育を司る仙人と結びつけられた。この他、学問の神・文昌帝君、周の文王、あるいは石奮の化身とする説がある。
寿仙
向かって左側に立つ仙人。母親の胎内で十年を過ごし、生まれながらに老人の姿をしていたと伝わる。彼が司る寿星は「老人星」とも呼ばれる。別名を「南極老人」といい、独立で祀られることも多い。日本における寿老人に相当する。白鹿や白鶴に騎乗し、杖や桃を持物とする。
日本における福禄寿
福禄寿の図像表現として、寿仙のみを人物像として描き、福と禄をそれぞれ蝙蝠と鹿で表現するバリエーションがある(中国語の発音で「福」と「蝠」、「禄」と「鹿」は発音が同じで、それにかけている)。
そのためか、日本では一人の神としても認識され、やがてそれが定着し、メンバーに様々な候補がいた七福神に、最終的に寿老人と共に固定メンバー入りすることになる。
一人の神としての福禄寿の図像表現は様々で、寿老人と被ることも稀によくある。
一例として長い頭にひげをたくわえ、経巻を紐で結いつけた杖を持ち、鶴を連れて居る。
この経巻については『寿命経(金剛寿命陀羅尼経)』とする説がある(『梅花無尽蔵』四巻の「福禄寿の讃」)。
図像表現
日本における単独尊格としての福禄寿は、寿老人に近い造型がなされ、解説なしではどちらか断言できないことも少なくない。
例えば杖と経巻という組み合わせは寿老人像にもみられるものである(箱根七福神・本還寺の作例など)。
江戸時代中期の浮世絵師鳥居清広の「七福のもちもの」では、福禄寿が「嘴で巻物を開く鶴」で表現されている(寿老人は「宝珠のついた如意を咥えた鹿」)。
短身長頭であることが多いが、談山神社の尊像のように頭身が高く高身長な形で表現されることもある。
図像表現の代表例としては以下のものがある。
特徴 | 寺社、所蔵場所 |
---|---|
左手に宝珠、右手に杖 | 談山神社(大和七福神) |
左手に払子、右手に杖 | 孤峰山蓮馨寺(小江戸川越七福神) |
両手で巻物を持つ | 狩野派の画僧・實山の絵(高松市歴史美術館所蔵)白龍山東覚寺(谷中七福神) |
左手に巻物、右手に杖 | 長命寺(板橋七福神)、飯盛山妙音寺(三浦七福神)、鉤取寺(仙台七福神)慈高山金剛院(八王子七福神) |
左手に杖、右手に巻物 | 宝珠山地蔵院錫杖寺(川口七福神) |
左手に巻物、右手に扇 | 妙法山弘誓院(横浜磯子七福神) |
右手に巻物のかかった杖、左手に宝珠 | 成田山萬福院(なごや七福神) |
左手に巻物のかかった杖、右手に宝珠 | 実相院(大子七福神)、普門寺(上三州七福神) |
左手に巻物、右手に瓢箪 | 泉谷山福厳寺(小幡七福神) |
両手で宝珠を持つ | 水東山林泉寺(伊東温泉七福神)小牧御殿・跡(愛知県小牧市) |
左手で髭を持ち、右手で宝珠を高く掲げる | 竜宝山東漸寺(習志野七福神)明王院(上州邑楽七福神) |
右手に霊芝、左手に神亀を持つ | 孤峰山蓮聲寺(小江戸川越七福神) |
左手に瓢箪、右手に亀を持つ | 龍経山妙正寺(市川七福神) |
亀に乗る | 實山の絵(高松市歴史美術館所蔵) |
鶴を伴う | 双修山心行寺(深川七福神)、光明山即成院(泉涌寺七福神)、成田山萬福院(なごや七福神)、妙音寺(三浦七福神) |
鶴に騎乗する | 河野暁斎の画(プーシキン美術館) |
左手に稲穂、右手に杖を持つ | 天祖・諏訪神社(東海七福神) |
老人ではなく童子形 | 松栄山仙形寺(雑司が谷七福神) |
他の神仏との同体説
京都の天台宗寺院「赤山禅院」に祀られる「赤山大明神(泰山府君)」と同体とされ、本地は地蔵菩薩とされる。
室町時代の僧・万里集九の『梅花無尽蔵』四巻の「福禄寿の讃」には「彼の蒼に在りては、即ち太山府君と称し、厚地に出ては即ち、福禄寿星と名づく」とある。天界においては大山府君である存在が、地上においては福禄寿、と著者は見なしており、続けて趙宋の時代に現れて画工に自身の絵を描かせた伝承を引用している。
万里集九は臨済宗の禅僧であり、天台以外にも福禄寿・太山府君同体説が広まっていた事の表れと言える。