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文昌帝君

うぇんちゃんでぃじゅん

文昌帝君(Wenchang Dijun、ウェンチャンディジュン、ぶんしょうていくん)とは道教の神。
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概要編集

北斗七星において「魁星」として知られる四星「天枢(おおぐま座α星)」「天璇(おおぐま座β星)」「天璣(おおぐま座γ星)」「天権(おおぐま座δ星)」の上に見える文昌宮六星(文昌六星、また単に文昌星)を擬人化した星神

「文昌君」「文昌星神君」「梓潼帝君」「梓潼文昌帝君」「雷應帝君」「更生永命天尊」「七曲靈應天尊」「保德宏仁大帝」「寶光純一天尊」「九天定元保生扶教開化主宰長樂永佑靈應大帝」ともいう。


道教における代表的な文神(学問や勉強、文芸の神)の一人。「北有孔子,南有文昌(北に孔子あり、南に文昌あり」と言われるほどの信仰を集める。

大魁星君、朱衣帝君、孚佑帝君関聖帝君と併せて「五文昌」と総称される。


文昌宮六星編集

『史記·天官書』によると、六つの星の名称はそれぞれ上将、次将、貴相、司命、司中、司禄。『漢書·天文志』では五番目と六番目の星を「司禄」「司災」とする。

『星經』によると、半月のような並びをしている。


現在国際的に用いられている天文学における天体名では、第一あるいは第二星がおおぐま座υ(ウプシロン)星、第三星がおおぐま座φ星、第四星がおおぐま座θ星、第五星がおおぐま座15番星、第六星がおおぐま座18番星に対応すると考えられている。


梓潼帝君編集

現在は文昌帝君の神号の一つとされているが、もともとは別個の神で梓潼(現在の四川省北部)の土地神である。五胡十六国時代に反乱を起こした張育の大廟がこの地の七曲山に建立され、「雷澤龍王」として祀られた。

その後梓潼神が人神としての張育と習合し梓潼神張亜子(張悪子)となり、『明史・礼志』においては晋の時代に戦死したともされた。

姚萇が後秦を興した際、彼は秦の地に「張相公廟」を建立し、張亜子を祀った。


唐の時代になると張亜子信仰は教勢を拡大し、9代目皇帝玄宗は大規模な祭祀を捧げて「左丞相」の号を贈り、21代目皇帝の僖宗は「済順王」の封号を授与し、自身の「尚方剣(王権の象徴となる斬馬刀)」を廟に奉納した。

宋の時代において文昌帝君と合祀され、科挙受験者からも篤く信仰されるようになった。


梓潼神張亜子に対し、北宋3代目皇帝真宗からは「英顕武烈王」、南宋3代目皇帝光宗からは「忠文仁武孝德聖烈王」、南宋5代目皇帝理宗からは「神文聖武孝徳忠仁王」の号が封せられた。

元の時代、第4代皇帝仁宗により「輔元開化文昌禄宏仁帝君」の封号が付された事で梓潼帝君と文昌帝君との習合が進んだ。

梓潼神張亞子は文昌星の生まれ変わりとされる形で文昌帝君に吸収された。


元の次の明朝の時代には由来の異なるこの二神を分離すべきではないかという意見が出ていたが、信仰の現場でも用いられる経文でも同一の神として扱われ続け定着した。


過去生編集

文昌帝君は地上に何度も下生したとされるようになり、清代の『文昌帝君陰騭文』では17回とされる。


  • 張善勳

の時代初期の人。最初の下生ともされる。黄帝の子(黄帝の第五子・青陽の子ともいう)である揮を祖先に持つ。揮は弓に弦を張る事を始めたといい(この事を記した『山海経』では揮は黄帝の臣下とされる)張姓の祖ともいう。

彼の母が五彩の珠を呑む夢を見て懐妊した。幼い頃から非凡な才を見せた。

あるとき近所で黄金の神像を見つけ、空中からこれが「大禹治水之神物」にして「鎮守山嶽河川之聖物」という声がしたため、彼はこれを手厚く祀った。

暴風雨と海の氾濫が起きた際、これが鎮まるように祈り像を水中に投じるとこれが止んだ。

両親が感染症で亡くなった後、夢にあの黄金の神像と二つの書が出た。目が覚めると枕元にその二書『大洞籙』『大洞法』があり、彼は深く感謝すると天文地理や医術を学び尽くし、その知恵でもって西周2代目皇帝成王を重い病から救い出した。

  • 張仲

張仲公とも。揮から数えて五十八代目にあたる。西周11代目皇帝宣王に仕えた。

  • 張亜

張亜子と尊称される。晋の時代の人。『集説詮真』の文昌帝君の条において、彼のエピソードが記されている。そこに引用された「清虚観碑」によると、浙江省の出身で、原型となった張育の出身は蜀郡(現在の四川省成都一帯)生まれなのとは異なる。

梓潼の地に移り住んだ彼は、その優れた人柄と学識、文唱の巧みさにより地元の人々から尊敬され、死後は清虚観の敷地内に祠が建立された。祈ると必ず叶うため、文昌星の化身だと信じられるようになった。


従者・坐騎編集

天聾、地唖の二童子を脇侍とする。筆、印璽を持つ姿で表現され、「筆童」「印童」ともいう。文昌帝君の助手が天聾地唖であることは、天の秘密や試験の内容を漏らさない事を象徴する。

明かすべきでない事について、知り得る者は言わず、言い得る者は知る事がない。この徳を持つ二人を助手となることで天の秘密は漏れ出ず、試験における秘密厳守は公正さの担保となる。


坐騎(騎乗獣)は白特あるいは禄馬と呼ばれる。


白特は「白特神獣」「鳴邪真神」ともいう。の頭、ラバの身体、ロバの尾、の蹄を持ち、「四不像」とも呼ばれる。

身体に不調や病のある人が、この獣の身体の部位の同じところに触れるとそこが癒える故に「特」なのだという。

清の4代目皇帝康熙帝が江南地方を巡幸した際に白特に乗っていたという伝説がある。


禄馬は「馬爺」とも呼ばれる。官禄を司る白馬の神で祈る者に出世運を授けるという。


扶鸞の神として編集

道教には神仙にお伺いを立て、一種の自動書記によってその霊示を受けるという「扶鸞(フーチ)」という儀礼がある。

文昌帝君はその中でも重要視される神明であり、四川省などで広まった「三相代天宣化」では彼と関帝、呂洞賓が扶鸞を介して人々を善導し、末劫(地上の悪に天が怒り災いをもたらす事)を防ごうとしているという。


日本における文昌帝君編集

文昌帝君に帰せられる善書『文昌帝君陰騭文』は『太上感応篇』、『関聖帝君覚世真経』と並び「三聖経」と総称され広く流布した。

儒教仏教の教えも反映した倫理道徳を説き、そうした文化基板を共有する日本人にも比較的共感できる内容であった事から江戸時代、近世の日本においても流通した。


ただし、道教についての情報の精度には粗があり、しばしば魁星と混同され、魁星の絵や像に「文昌帝君」「文昌星」と題がつけられる事が稀によくある(例:国立国会図書館デジタルコレクション「昌帝君陰騭文 : 通俗」文化遺産オンライン「文昌星」)。

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