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坐禅

ざぜん

仏教における禅の修行法の一つ。
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概要

仏教で、姿勢を正して坐った状態で精神統一を行う基本的な修行法。

禅は大乗仏教(北伝仏教)の一派であり、坐禅を最も重要な修行形態としているが、坐禅そのものは古くから仏教全体の基本的実践の重要な徳目であり、上座部仏教(南伝仏教)でも行われており、仏教の開祖釈迦が、悟りに至った際に行っていた修行でもある。

常用漢字に「坐」の字が無いため、「座禅」と表記することもあるが、正式には「坐禅」である(文字の意味は「坐」は坐る行為を表し、「座」は坐る場所を表す)

Meditation(瞑想)と翻訳される場合があり、インドにおいて瞑想は古来より精神統一に用いられており、同一のものと思われることもある。
ただ、厳密には瞑想とは眼を閉じて思考することであるとされ、坐禅は逆に何も考えず無心となり、ただただ坐ることに集中する修行であり、別概念とされる。
また、瞑想自体は他の宗教においても存在しているため、坐禅とはインド式の瞑想法とされることもある。

ちなみに、ヨガの経典である『ヨーガ・スートラ』に説かれてある古典的な意味でのヨーガ(瑜伽)も、坐禅と同じものである。

やり方

姿勢

本来は、坐蒲(ざふ)という厚めの敷物を敷いて行うが、普通の座布団を二つ折りにして代用してもOK。

足を胡座(あぐら)をかいた状態から右足を左太ももの付け根にのせ、左足を右太ももの上にのせる。これは『結跏趺坐(けっかふざ)』という座り。

身体が硬いなどで結跏趺坐ができない場合は、左右どちらかの足だけをももの上にのせる『半跏趺坐(はんかふざ)』の座りをとる。

足を組んだら背筋を伸ばし、頭のてっぺんを天井から吊されているようなイメージを持つ。同時にヘソのあたりを立てるようにすると腰が入って正しい姿勢がとりやすくなる。腰が後ろに引かないようにすること。

手は、右の掌を上にして、組まれた足(下腹あたり)に置き、左手をその上にのせ、左右の指が重なった感じにする。そして左右の親指を軽く合わせ、卵形の空間ができるようにする。この形は『法界定印(ほうかいじょういん)』というの一つ。

呼吸

意識するのは「細く」 「長く」ということだけで、吐くことに集中していれば吸うほうは身体が勝手にやってくれる。

この時に1から10まで心の中で呼吸を数え、鼻から息を吐きながら「一つ」2回目に「二つ」3回目に「三つ」というふうに数えていき、10まで数えたらまた1に戻り、それを繰り返す。この呼吸法を『数息観(すそくかん)』という。

もしくは数は数えず、ただ出入りの息に意識を集中するやり方もあり、こちらは『随息観(ずいそくかん)』という。

目線

坐禅をするときは目を閉じず、半眼の状態で行う。禅において半眼は、半分は外の世界を見て半分は自分の心の内や見えないものを見るということとされ、実際にも目を閉じないほうが頭の中に妄想が浮かばず坐禅に集中できる。顔は前方に真っ直ぐ向けたまま、目線だけを1.5~2m前方に落とす。

通常は坐禅では声を出すことはないが、坐禅会では坐禅の前に般若心経などの経を読むのが一般的であり、声を出すことで態勢が調い、坐禅に入りやすくなるためである。
般若心経は短い経なため最適であり、さらに短い延命十句観音経(えんめいじっくかんのんきょう)』などもあるため、できるなら読んでから坐禅に入るのが有効であるが、無理にする必要はない。

※これらは毎日続けることが一番大事であり、一日ほんの少しの時間でも、心が落ち着き晴れやかになれればOK。可能なら早朝にすると特に良い。


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参考文献


関連タグ

仏教  座禅

著名な寺院

  • 永平寺(福井県)…神奈川県總持寺とともに曹洞宗の本山として知られる寺院、宗祖・道元が山を開いた。修行僧にとって、当然、座禅も修行法のひとつとして重要視されているが、それだけで修行が完遂されるわけではない。修行僧は畳一枚を与えられて他の修行僧たちと禁欲的な生活をともにすることによって心身共に身を律し、悟りを得ることを目的としているのである。(食事を作ること、食事を摂ることも修行の一環として考えられている)。特筆すべきは高僧と修行僧の問答(禅問答)であり、その懐の深さは凡人の及ぶところではなく、まさに哲学と呼ぶにふさわしい。

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