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諸法無我

しょほうむが

仏教のテーゼのひとつ。「世のすべての存在には主体と呼べる“我”がないこと」の意。『無我』とも呼ぶ。

概要

サンスクリット語सर्व धर्म अनात्मन् sarva- dharma-anaatman

仏教用語の1つであり、同じく仏教における世の摂理『法(ダルマ)』の中の一つとされる『諸行無常(無常)』と共に存在する真理である。

この世の現実にある、ありとあらゆる全ての存在・物事は、姿も本質も流動し常に変化するものであり、ゆえに「全く同じもの」や、「永遠に変わらないもの」はこの世には存在しないというのが諸行無常である。

ところが、我々人間はそうした変化を繰り返し続ける無常の世界の中にいて、「(常に変化し続けているのに)変化しない何か」を捉えようとしたり、「(常に変化し続けているのに)何かがきっかけになって変化してゆくのだ」と考え、変化に何かの主体(変化させる何か)があると思い込み仏教ではそれを『我(が)』という。
ヒンドゥー教における、ありとあらゆる生き物が持つという自我(アートマン)がこれにあたる。

しかし仏法の真理において『我』は無いとされ、そうした真理を諸法無我(無我)』と言われる。
この世の一切のものには『我』としてとらえられるものは無く、自分自身の存在さえ自分のものではない(もしくは自分だけのものではない)

この世の全てのものは、目に見えるもの見えないものを含め、生きているのではなく縁起によって生かされていると考えられる。

例えば、

父と母がいなければ自分は生まれず、父と母も祖父と祖母がいなければ生まれていない。祖父と祖母も曾祖父と曾祖母がいなければ生まれていないし、果ては先祖がいなければ曾祖父と曾祖母から以前・以降の自分も含む全ての人も生まれていない

この世の生き物は、別の生き物を食べることで生きていられる。やがて死ぬと土に還って養分となり、別の生き物の糧となる。更に生命が育つにはそのための環境も必要になる。自分を含め、この世はそうして“他のものから命を貰う”ことで、生かされている

など。
そうした共々に生かされ生きているという自覚の中にこそ、他者に対する慈悲の働きがありうるとされる。

関連タグ

仏教用語 仏教
四字熟語 真理

法(ダルマ)
諸行無常(無常) 一切皆苦()
涅槃寂静(涅槃)

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