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ごうまたはかるままたはわざまたはぎょう

複数の意味があり、曖昧さ回避を参照。
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曖昧さ回避編集

  1. 『ごう、カルマ』…インド宗教に共通する概念。
  2. ぎょうとも読む→職業偉業企業など。
  3. 『わざ』…「職人技」や「離れ業」などの人や動物が行う「技術」のこと。→技術

本項では1について解説する。


概要編集

インドの言葉で原語であるサンスクリット語では「カルマ」、パーリ語では「カンマ」、現代のヒンディー語では「カム」または「カルム」と読み、「行為」を意味する。


行為(カルマ)によって来世が左右される、という思想である。


善き行いをすれば良い来世に悪い行いをすれば好ましくない来世を引き当てることになる。

カルマはそれ自体が形成力となって、死後生まれ変わる際に転生先を決定し、新しい自分を形作っていく。

このサイクルは輪廻転生の輪から脱出しない限り永遠に続く。

天界の者ですら業の支配下にあり、寿命が終れば転落してしまうことになる。

まさに逃れられぬカルマである。

そのためヒンドゥー教仏教ジャイナ教は輪廻からの脱出(解脱)を目指す。


各宗教でいう「善」「悪」はあくまで「その宗教での」善と悪であり、信者でない人からすれば違和感を覚えるものも含まれる。

例えば、敵側に親類がいて尊敬できる相手ではあっても、ダルマ(法)に定められた以上、戦士として殺さなくてはならないし、聖者に強い悪意を抱いただけで、一般人を傷つけるよりも遥かに重い悪業を背負い地獄に落ちてしまうし、父母や悟りを開いた者の殺害は通常の殺人より罪が重く、それ以外の殺人なら何百人殺しても、その後に善行や修行を積めば、現世で悟りを開いたり、来世での地獄行きを逃れる可能性は有るが、父母や悟りを開いた者は1人でも殺した時点で、その後の人生でどんな事をしても無間地獄行きが確定する。


仏教における罪編集

仏教における罪の根源には、身・口・意の三業があり「罪業」といわれる。

その行為は悪であるから「罪悪」といい、本質的な罪悪行為である「性罪」と、本質的な悪行ではないが戒律に反する行為である「遮罪」とに大別され、「五戒」に対する「五悪罪」、「十善戒」に対する「十悪罪」、父母を殺すなどの「五逆罪」がある。仏教をそしる「誹謗正法」は「五逆罪」より重い罪とされる。


カルマの仕組み編集

ヒンドゥー教においては『バガヴァッド・ギーター』において、至高神がカルマと他の要素を混ぜて、生類を創造する、と語られている。


仏教においては業不思議、と言われ、この行為をするとあの結果が出る、というある程度の型はあるものの、正確なところは「業不思議」とされ、仏陀にしかわからない、とされる。要はブラックボックスである。

業とそれによる来世の決定、来世の自分の形成は自動的に生じるため、仏教においては本来閻魔大王のような存在を必要としない。

通用編集

「業が深い」など、非宗教的な文脈でもめんどくさい事態や人心の拗れるような込み合った事情をさして使われることがある。

関連タグ編集

宿業 罪業

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