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概要

首都アスタナ
人口1960万人(2023年)
面積272万4900平方km
通貨テンゲ
公用語カザフ語・ロシア語
国家元首(職)大統領
政体大統領制 共和国

カザフスタン(ロシア語:Казахстан、カザフ語:Қазақстан、英語:Kazakhstan)は、東ヨーロッパ・中央アジアに位置する共和国。国土面積日本の7倍にも及ぶ世界最大の内陸国。国土の一部がヨーロッパに跨っている。国内最大の都市はアルマトイ。独立直後は首都も兼ねたが、1997年12月に現在のアスタナに遷都した。

1991年12月の独立以降サッカー代表はAFCに所属していたが、2002年4月にUEFAに移籍した。

地理

ユーラシア大陸中央部に広がる広大な草原のカザフステップを占める。大まかに言うと天山山脈・バルハシ湖に近く水源の多い南東部はシルクロードの北側の一部であり、それ以外はいわゆる「草原の道」と言われるエリアに当たっていた。

歴史

起源

現在のカザフスタン地域にあたる草原は、13世紀以降にモンゴル帝国の勢力ジュチ・ウルス(キプチャク・ハン国)が治めるようになる。ウルスはモンゴル帝国衰退後の興亡、イスラム化やテュルク化などを経ていくく。

しかし、チンギス統原理に従ってジュチ・ウルスの王族がテュルクの民を率いて15世紀に再びこの地を統一する。これがカザフ・ハン国である。カザフとはウズベク語で解放奴隷もしくは自由人を意味し、南のウズベク人と戦って自立、建国している。カザフ・ハン国は、西に台頭しつつあったロシア、あるいは南のウズベク人などと争いながら草原を支配し続ける。そして大ジュズ・中ジュズ・小ジュズの三国に別れて行った。

しかし、18世紀に東側から強力なモンゴル系の遊牧民が攻め込んでくる。最後の遊牧帝国とも呼ばれるジュンガル帝国である。窮地に陥ったカザフ三国は、西のロシア帝国に援護を求める。これを受けたロシアはすっかり力を失ったハンに代えて総督を送り、6州からなる直轄地としてカザフの草原を支配する事にした。

成立

1731年2月にアンナ・イオアンノフナ皇后は、キシ・ユズのカザフ人のロシアへの服従に関する憲章(公式文書)に署名し、カザフスタンはロシア帝国の一部となった。

ソビエト時代はカザフ・ソビエト社会主義共和国を参照して欲しい。

独立

1991年12月にカザフスタン共和国として独立し、カザフスタン共産党のヌルスルタン・ナザルバエフ党第一書記が初代大統領に就任した。ナザルバエフは強権的な政治をしつつも、経済的には豊富な天然資源を背景に外資を呼び込むやり方で経済を発展させる事には成功した。しかし2019年3月にナザルバエフ大統領は辞任し、後任にカシムジョマルト・トカエフが就任した。

天然資源に恵まれ、ナザルバエフがやり手だったこともあり、平均所得が低い傾向にある中央アジアでは断トツとも言っていい高所得国。首都アスタナは中東産油国みたいな奇抜な建物が多いが、この都市設計は日本の著名な建築家、黒川紀章によるものである。

公用語

カザフ語とロシア語が公用語である。中央アジアではキルギスと並んでロシア語話者が多く、カザフ人もかなり多くがロシア語を日常語とする。1929年8月にソ連が一時的にラテン文字を導入し、1940年11月に現在のキリル文字が採用された。2017年10月にナザルバエフ大統領は、カザフ語の文字表記をキリル文字からラテン文字に切り替える準備を整えるように担当部署に指示した。

渡航

日本国籍者は30日以内の短期滞在に限り査証は免除、上限は最初の入国日から起算して180日の間に合計90日。

日本の外務省は置き引きやスリが多発。また、2022年に発生した燃料価格値上げによる暴動で強奪された銃器の大半が見つかっていないため要注意とのこと。

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