基礎データ
概要
旧ユーゴ連邦構成国。バルカン半島の内陸に位置しており、東ヨーロッパとも南ヨーロッパとも言える場所にある。
セルビアの一部だったが2008年2月17日に独立宣言。しかしセルビアの他、国内に領土独立問題を抱えるロシア、中国、スペイン、セルビアと友好関係を結んでいる国は独立を承認しておらずセルビア領コソボ・メトヒヤ自治州という扱い。
民族的にはイスラム教徒のアルバニア人が多い。経済水準は低く、失業率も高い。
歴史
起源
1389年セルビア王国VSオスマン帝国。この戦いでスラブ系キリスト教国連合は敗れ、セルビア王国も滅亡。その後はオスマン帝国の支配を受けることになり、住民の一部にもイスラム化が進んだ。コソボの戦いで倒れた国王や武将は、民族的な英雄として現在まで口承の叙事詩として伝えられている。
内戦
セルビア共和国内のコソボ自治州は、アルバニア系住民が多く、しかも彼らはイスラム教徒であったので、1980年代からスラヴ系民族でセルビア正教会が多数派であるセルビアからの分離独立を求める声が強くなった。
コソボ自治州の分離独立に対して、セルビアのスロボタン・ミロシェヴィッチ政権は強硬姿勢を崩さず、その非人道的な攻撃は国際批判を強め、99年にはアメリカ軍を主力とするNATO軍がセルビアを空爆するなど重大事態に発展。
2000年のセルビアの総選挙でミロシェヴィッチが落選したのを機に、彼はハーグの国際特別法廷で裁判にかけられることになる。2005年からアハティサーリ国連特使の仲介により戦闘行為は停止され、アメリカ・ロシア・EUも加わって解決が模索されることとなった。07年にはコソボ独立案が国連安保理でも審議されたが、ロシアの拒否権行使で成立しなかった。
独立
2008年2月17日、コソボは一方的にセルビアからの分離独立を宣言。この宣言に対してロシア、セルビアは承認しなかったが、アメリカや日本などは承認。現在までに国連加盟国の半数以上が承認するも国連には未加盟である。
2020年9月4日、セルビアとコソボはアメリカのドナルド・トランプ大統領の仲介により両国の経済関係を正常化することで合意。同時にアメリカの仲介でコソボとイスラエルが国交を樹立。ところがセルビアはそもそも独立を承認しておらず、完全な国交樹立には至っていない。合意の内容も詳細は不明であるが、両国間の道路や鉄道の整備、国境検問所の開放など経済発展に必要な措置を取って、アメリカからの投資を促進することなどにあると思われる。またトランプ大統領にとっては、コソボとイスラエルとの国交を仲介したことで、11月の大統領選挙への国内の親イスラエル勢力へのアピールとすることを狙ったものとされる。しかし、セルビアのブチッチ大統領は「この合意は相互承認を含んでいない」と強調しており、コソボ承認に向かうかどうかは不透明のままである。
文化
国内ではサッカーが大人気。
1945年にサッカーリーグのライファイゼン・スーペルリーガが創設されている。コソボサッカー連盟(FFK)は、2015年にUEFA、16年にFIFAへそれぞれ加盟を果たしている。サッカーコソボ代表は、FIFAワールドカップ予選には2018年大会・予選から参加しており、2022年大会・予選もグループ最下位で敗退。本大会への出場の夢は未だ叶わず。
渡航
査証免除取極はないが日本国籍者なら90日以内の滞在に限り免除。
日本の外務省は北部は独立を認めない民族主義者との対立が激しいため絶対に近づかないようにとのこと。ちなみに日本大使館はオーストリアが兼轄。
コソボの有名人
⋯アルバニア民族の象徴。首都プリシュティナには騎馬に乗った、雄々しい銅像がある。
⋯本人はオスマン帝国支配下の北マケドニア出身だが、コソボの教会では絵画などが見られる
⋯コソボ紛争に大きく関わった。町中に銅像がある。
- リタ・オラ
⋯コソボ難民からスターになった人物。詳しくは参考の項にて。