モンゴル人民共和国
もんごるじんみんきょうわこく
モンゴル人民共和国(モンゴルじんみんきょうわこく、モンゴル語:Бүгд Найрамдах Монгол Ард Улс、英語:Mongolian People's Republic)は、1924年11月から1992年2月までモンゴルに存在した社会主義共和国。略称はBNMAU(БНМАУ)であり、1911年12月にソ連の影響下で中華民国から独立した衛星国である。モンゴル帝国を築いたチンギス・ハーンはモンゴル人の間では英雄として崇拝されてきたが、社会主義政権は『君主は人民を圧する独裁者』だとされて表に出される事を禁止された。
初期
1911年12月にチベット仏教の法王であるジェプツンダンバ・ホトクト8世が、モンゴル皇帝のボグド・ハーンを名乗って清から独立した。1919年11月に国民党軍がモンゴルに攻め入ってボグド・ハーンを退位させ、モンゴル史上最後の君主(皇帝)となった。
革命
1921年7月に人民革命が成功に終わり、1924年5月にボグド・ハーンが死去した後は人民革命党による一党独裁を宣言した。同年11月にモンゴル人民共和国が成立し、ソ連に続く世界で2番目にしてアジアで最初の社会主義共和国となった。モンゴルが共産主義化する過程で過去の英雄・君主が全否定され、政権は一貫してソ連一辺倒政策を継続してきた。
戦前・戦時中
1939年3月以降はホルローギーン・チョイバルサンやユムジャーギィン・ツェデンバルによる独裁政治が実行された。1941年3月にモンゴル語表記を以前のモンゴル文字からロシア語に使用されるキリル文字へ切り替えたが、中華人民共和国の内モンゴル自治区はモンゴル文字の使用が維持された。
戦後
1961年10月に開催された安全保障理事会第971回会合で国際連合に加盟し、一方で1962年6月に経済相互援助会議(コメコン)に加盟して経済でもソ連への依存を一層強めた。1989年12月にモンゴルでもソ連のペレストロイカが波及して民主化運動が高まり、1990年3月に人民革命党の一党独裁は崩壊した。複数政党制による自由選挙で実施される大統領制と議会制を導入し、人民革命党と民主化勢力の連立政権へ移行した。1992年2月に「モンゴル国」と改称して社会主義を放棄し、モンゴル人民共和国は消滅した。
1921年3月に人民党が結成され、1924年8月に人民革命党に改称された。2010年11月に再度人民党に改称されたが、執行部に反発したナンバリーン・エンフバヤル前大統領らが人民革命党の名称を掲げて分裂した。同党はソ連型社会主義を標榜し、徹底したソ連追従政策を推進して一党独裁を維持した。