概要
現役時代
1971年5月2日生まれ。日本国籍取得前の本名は「フィアマル・ペニタニ」。1996年に日本国籍を取得し、しこ名の「武蔵丸光洋」を本名とした。
アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島出身と紹介されるが実際はアメリカ領サモアの生まれで6歳の時にハワイへ移住した。元々はアメフト等を経験していたが武蔵川部屋に入門して1989年秋場所にて初土俵となる。
以後は順調に出世して1991年の九州場所にて新入幕となり1994年に大関昇進し同年の名古屋場所にて初優勝。以後は大関に定着して若貴兄弟や曙といった強豪力士としのぎを削り1999年の春・夏場所にて連続優勝を飾ったことにより名古屋場所から横綱へと昇進、曙に続く史上二人目の外国出身の横綱となった。
横綱に昇進した後は計7回の優勝を飾り、特に2002年は若貴兄弟や曙ら同時代の横綱が引退や怪我で長期欠場する中で横綱として3度優勝したが翌2003年は怪我での欠場が続き同年九州場所を以て引退した。
通算12回優勝は当時の外人力士として歴代1位記録だった(後に朝青龍や白鵬が更新)。
引退後
日本国籍を取得済みであったことから、引退した後は武蔵川部屋で後進の指導(年寄としては一代年寄の武蔵丸から振分→大島)に当たり、2013年に師匠である14代目の武蔵川親方が定年退職した事によって15代目の武蔵川親方となり、藤島部屋(旧・武蔵川部屋)から独立する形で新たに武蔵川部屋を開いた。
武蔵川部屋の所属力士としては甥の武蔵国がいたが、結局関取にはなれずに引退した。また、親方業のかたわらタレントとしても活動している。
評論家として
部屋持ちの親方となって以降は辛口相撲評論家としての側面を見せるように。現役時代の寡黙な性格からは想像も付かないが、部屋付き時代からテレビ番組でもハワイの先輩であり上下関係を取っ払った仲の小錦に軽口を叩くなどその片鱗はあった。
上位陣を始めとして角界のレベルは自身の現役時代と比べて下がっていると主張しており、2022年5月場所後、大関陣の不成績を指して「今までもいろいろな大関がいたけど、今の大関陣はワーストだよ」と呆れていた。また、豊昇龍の大関昇進の際にも「(豊昇龍に)大関の力はない」と切り捨てるなど、辛口ぶりをいかんなく発揮しているが、現在は弟子の数も10人以上もいながら一度も関取を輩出できていないため、一部の相撲ファンからはその辛口批評に関して「説得力がない」等の疑問や不満の声も上がっている。外国出身であるため最初の方は学生相撲とのパイプが無く、相撲未経験者やスポーツ自体が未経験な弟子を勧誘せざるをえなかったという事情があるとはいえ、既に部屋を持って11年以上も経っており、2024年の時点で国士舘大学相撲部とパイプができている。
力士の休場癖に対しても厳しい態度を示しており、特に白鵬と鶴竜の現役終盤期には、余りの休場続きに2020年8月3日公開の「Number」のウェブ版のコラムで「横綱ふたりは、もういつ辞めてもいいよ」とまで切り捨てていた。これに対しても「休場続きだった自分の現役末期(2002年11月場所から2003年9月場所まで6場所連続で休場。翌11月場所で引退)を棚に上げている」という相撲ファンからの指摘があり、同じように休場が多い現役の力士に対する「怪我が多いのは稽古不足」「専門家の意見聞いたり、筋力トレーニングばかりでは駄目」という意見にも、ファンからは「古い、昭和の考え」という指摘がある。
辛口評論の一方で、暴力問題や大麻問題などの角界の信用に関わるレベルの不祥事には全くと言って良いほど言及せず、辛うじてコロナガイドライン違反した力士などの一定の擁護論が発覚当時から存在していたマイルド寄りの問題に対して月並みなコメントを寄せているぐらいのものである。このことから武蔵丸の協会員としての一般層への発言力を否定する意見もある。
その他
- 四股名は武蔵川部屋とかつての本名のフィアマルから来ている。
- 外見が西郷隆盛によく似ていると言われる。
- 2000年春場所の貴ノ浪戦が予想以上の熱戦となり、(当時はBSでも放送されていたので)その煽りで「カードキャプターさくら」の最終回が5分繰り下げとなり、録画予約に失敗した視聴者が続出し、2ちゃんねるのCCさくら板が大炎上するほど地獄絵図と化し、「武蔵丸の悲劇」としてCCさくらファンの永遠のトラウマとなった。しかも取り組みは武蔵丸の負け。
- 現役時代は生来の真面目さはともかく「貴乃花に中々勝てなくてだらしない」と闘志の欠如を指摘されることがあったが、後年では現代の力士では想像も付かないほどの猛稽古を行っていた根性力士としてスポーツメディア報道でも再評価されている。一方で「武蔵丸はインタビューにホイホイ応じて追憶に浸り過ぎでは?」という指摘もある。
関連人物
- 武蔵川親方(元横綱・三重ノ海)
師匠。
- 貴乃花(元横綱)
同時代のライバルの一人(対戦成績は19勝29敗)。
優勝決定戦では4度対決しているが全て敗れている。
- 三代目若乃花(元横綱)
同時代のライバルの一人(対戦成績は24勝14敗)。
- 曙(元横綱・故人)
共にハワイ勢の代表格であり同時代のライバルの一人(対戦成績は16勝22敗)。
- 貴ノ浪(元大関・故人)
同い年で同時に新入幕となり大関昇進も同時であった最大のライバルであり親交もあった。
対戦成績は37勝21敗で58回の対決は当時の幕内最高記録であった。