概要
大相撲においては土俵の上にいる行司の他、土俵の周りに合計5人の勝負審判と言う審判が配置されている。
大相撲の取組において行司は決着がついた際に必ずどちらかの勝ちを宣告を宣告しなければならず、動体(引き分け)・反則の宣告ができないルールとなっている。
そして、その際に行司が出した試合の勝敗判定に勝負審判が異議を感じた場合に異議有りの意思表示をし、試合審判が試合判定の協議を行うというもので、これが「物言い」である。
行司は物言いを拒否することはできず、取り組みの状況や試合の流れからどちらが有利であったかの意見を述べることは出来るが、評決に参加することはできない。
このため、大相撲は近代のプロスポーツとしては珍しく、審判となる行司が絶対的な権限を有しておらず、権限を勝負審判と分割する形になっている。
ビデオ映像も参考にし、勝負審判5人による多数決で協議を決するが、位置関係などが原因で問題となった場面が見えていないという場合には「見えていない」という意思表示をして評決から外れることもできる。
多くの場合は身体が落ちる、土俵を割る瞬間が同時であると判断されて取り直し(再試合)になるか、行司の軍配通りの判定になるが、稀に行司の判定とは逆の結果になることもある。
これは「行司差し違え」「行司軍配差し違え」と呼ばれ、行司の査定にも響く。
また、土俵近くで取組を観ていた控え力士も物言いをつける権利を有しているが、物言いをつけた力士は協議に参加することはできない。
実際に控え力士が物言いをつけたケースは過去に2件存在(「1996年1月場所の土佐ノ海-貴闘力戦。物言いをつけたのは貴ノ浪」と「2014年5月場所の豪栄道-鶴竜戦。物言いをつけたのは白鵬」)し、どちらも行司差し替えになっている。
この大相撲の「物言い」は、複数の元選手が審判の判定をチェックするために場外に待機する制度であり、他のスポーツでは見られないものである。
また、大相撲においてビデオ判定が導入されるようになったのは1969年の5月場所からで、多くのプロスポーツでビデオ判定を導入する動きが見られ始めたのは2000年代以降であり、大相撲の動きはこれらに大きく先んじるものである。
ビデオ判定自体は1969年5月場所からの導入を目標に進められており、同年1月場所にて試験を行い、良好な結果を得られたので5月場所から本格実施に踏み切ろうとしたのだが、そんな矢先に3月場所で横綱・大鵬と前頭筆頭・戸田(後の羽黒岩)の一番で行事差し違えの末、戸田が勝利したという判定を出したが、中継映像では戸田が先に土俵を割ったように見えた、という騒動が起きる。
さらに大鵬がこの取組まで45連勝をしていたため、これが「世紀の大誤審」と騒がれた結果、5月場所からの導入が正式に決定された。
前時代的な因習の問題が数多く残り、閉鎖的と言われる大相撲ではあるが、こうした誤審防止のシステムについてはプロスポーツ界全体で見ても極めて先進的で完成度が高いと言えるだろう。