プロフィール
出身地 | ナイジェリア連邦共和国 |
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生年月日 | 1973年4月8日(本当は1966年生まれ) |
身長 | 182cm |
ニックネーム(?) | 自称「21世紀の(オスマン・)サンコン」 |
現在の本名は「近田ボビー」であり、2007年日本国籍を取得している。
帰化前の名前は「カリム・アルハジ・オロゴン」で、ボビーはR&B歌手のボビー・ブラウンが由来となっている。
彼の父は6人の妻を娶るなど地元ではかなりの富豪で、ボビーは33人兄弟の3番目の子供として誕生。
上には兄と姉が一人ずつおり、兄・姉・ボビーはいずれも第1夫人の子供。
一度ナイジェリアに帰国して初めて沢山の弟・妹たちと対面したときはボビーは困惑していた(地元の風習とはいえボビー自身は実父が自分の母親以外の女性と結婚して子供を儲けていたことを知らなかったため)。
素人から格闘家へ
2001年、TBSのバラエティー番組「さんまのSUPERからくりTV」のコーナー「セインのファニエスト外語学院」でエリック・ロビンソン、アドゴニー・ロロと共に芸能界デビュー。
「ボビーと思います(ボビーと申します)」「もす(押忍)!」「さんせい(先生)」「おやばか(親方)」「ナイジェリアはイッポンヤサイ(一夫多妻)」「揚げ物さん(曙さん)」などの微妙に間違った日本語と天然ボケのキャラクターで人気を得る。当初は、曲者ぞろいの生徒の中でも特にふざけているという印象を持たれていた。
そんな彼が変わったのは2004年に入ってからの事。前年の大晦日に見たという「ボブ・サップVS曙」戦に触発され、柔道に挑戦(ボビーの持ち込み企画である)。古賀稔彦と試合をし、組み合った瞬間に古賀が「物凄い力だ」と驚愕。負けはしたものの秘めたる才能を見せつけた。このVTRを見た番組司会者の明石家さんまが、「K-1出場も夢ではない」と冗談半分で言ったことから、本格的に格闘技に挑む。
同年3月にはホイス・グレイシーと3Rのバトルを行う。2R目で惜しくも敗れたが、ホイスを出血させるなど、大健闘したのであった。
この放送を機にタレント活動を広めていき、同時に「ファニエスト外語学院」は大人の事情もあって事実上終了した。
もす!
・・・とは、ボビーの口癖とも言えるセリフ。
これ以外にも何かと妙な言動が多く、相手を小馬鹿にしたような傍若無人な口調もあり、日本語を(微妙に)間違った言い回しを多用するなど、日本語はかなり怪しい模様。
・・・と言うのは真っ赤なウソで、実際にはそんじょそこらの日本人も色あせるほどの流暢な日本語を操り、その知識量もかなりのものであることがバラエティ番組でのドッキリで発覚。
また子供がテレビに出演した時には必ずと言っていいほど、「お父さんなんでテレビだとそんなに変な言葉なの?」と尋ね、お茶の間には笑いを提供している。
流石は元格闘家
上述のように、かつてはK-1に参戦するなど、格闘技に関して覚えがあるらしく(実際、からくりTVの中でも、ボクシングやテコンドー等、様々な格闘術や武術に取り組んでいった)、その腕っぷしもかなりのもの。
例えばフジテレビ系列で不定期放映中の「TEPPEN」においては、他の力自慢芸能人を寄せ付けない強さで腕相撲大会で優勝している。
豪血寺一族
当時の格闘の流れからか2006年には格闘ゲーム「新・豪血寺一族 煩悩解放」に、何故かボビー・オロゴン本人としてゲスト参戦した。CVもボビー本人。
プリンセス・シシーが選出した大会のラスボスで「もす!」の掛け声と共に登場。必殺ボビームを放つ。
しかしソフトの発売日直前に不祥事を起こした為、肝心のソフトの発売日を3ヵ月遅らせた。
不祥事
2006年ごろ、出演料を巡って事務所で大暴れした挙句、事務所社長及び所員数名に加え、ジョン・ムウェテ・ムルアカ氏を含めた暴行によって書類送検された(後に和解)。
2020年5月、妻への暴行容疑で現行犯逮捕されたが、「突き放したが、暴力は振るっていない」と否認している。その後、間もなく釈放されてマスコミの前で頭を下げ無言で謝罪。
一方、妻はボビー本人からモラハラ同然のDVを受けていたことを告発し、(暴力こそ振るわれなかったが)「ガスを止められた」、「家を売りたいから出ていけ。そうしなければ眠れなくする」などの傍若無人な対応に長年耐えてきたという。ご近所づきあいでは夫婦仲や家族関係は良好なものと見られてきたが、一部の住人や芸能関係者などはその本性に気付いていたといわれている。
関連タグ
ベルナール・アッカ:同じアフリカ系格闘家タレントだが、出身はコートジボワール。
YOUは何しに日本へ?:当時メインナレーター担当。