国鉄分割民営化直前の1987年3月に14系と12系を改造して登場。落成時期から分かる通りJR東日本のスタートに相応しい車両として改造された。80年代バブル期まっさ中の落成のため曲面を多用した、内外装とも時代なりのデザインとなっている。
編成
スロフ14-705・706
編成両端の1号車と7号車に連結される展望車・グリーン車。スハフ14形から改造。車掌室を編成内側へ向け、便所と洗面所を撤去してガラス張りの展望車に仕立て上げた。展望室はフリースペースのサロンとされ、展望室以外はグリーン席に割り当てられ、リクライニングシートを2列+1列の配置で前後9列設置してある。グリーン席の座席は45度刻みで360度回転可能になっており、全ての座席を通路に向けた状態で固定可能。イメージとしては観光バスのサロン席のような具合。展望室から客室にかけてはルーバー状の飾り屋根があるが、機能的なデザインではなくかつ洗練されていない。
展望室の一角には上野駅と車両基地の間で実施する推進運転に必要な機器類が設置されている。
オロ14-714・711
2号車と6号車に連結されるグリーン車。客室中央にミニステージを設置し、両側にスロフ14と同じリクライニングシートが配置される。
オロ14-713・712
3号車と5号車に連結される個室グリーン車。6人用個室が4室と3人用個室が1室設置されている。通路との仕切りにはブロンズガラスを使用し、遮光のためのレースカーテンを設けた。
個室内は土足禁止になっており、通路から50cm嵩上げされ、入口部分には下駄箱も設置されている。
オロ12-715
編成中央の4号車に連結されるイベント車。車体中央部の天井にステージと可動式テレビカメラを設置し、ハイルーフ風の天窓が儲けられた。パーティが実施できるよう車内は広く取られ、通路の片側には可般式のソファー、反対側には折りたたみ式の座席を設置した。
この車両のみ12系客車のオハ12から改造されている。
指定機関車
指定の機関車としてEF81とEF65形1000番台から1両ずつが指定機として選抜された。配置先は2両とも田端運転所。
EF65は当初1019号機が指定機に選抜されたが、1998年に1118号機へ置き換えられた。EF81は95号機が選抜された。
EF65もEF81も専用の塗装をまとい、赤一色のボディの側面にEF65、EF81と大きくレタリングされたデザインが目を引いた。
運用
落成から廃車まで一貫して尾久客車区に配置され、東日本各地で団体列車や臨時列車に使われた。種車となった14系は特急型客車ではあるものの、急行列車やシュプール号にも使われたことがある。
登場後の1988年には青函トンネルが通過できるよう自動消火装置などを設置する改造工事を行っている。
1993年には24系夢空間、14系座席車・寝台車と併結して編成を組んだ臨時列車「めぐり愛エクスプレス」が運行された。
時代に翻弄された、結末
臨時輸送も考慮にいれた設計であったが、お座敷車同様のデラックス・大口団体用ともどっちつかずの設計であり、内装デザイン・接客設備もバブルの崩壊とともに急激に陳腐化し、大口団体輸送は減少し、シュプール号などの臨時輸送も減少。ノスタルジックビュートレインのような明確な路線込みの集客コンセプトもなく、若干の改造で対応できたであろうサロンエクスプレス東京以上に乗車体験型には向かない。夜行快速などに転用するには定員が少なく、個室はお座敷同様個人単位での輸送には向かず、ステージなどのデッドスペースが多すぎた。いわば時代に特化した内装が逆にあだとなり、使いどころが見つけられないつぶしの利かない車両となっていたのである。
内装を再改造するにもコストがかかるほか、コンセプトそのものを完全に再設定せねばならない。
同じ14系ベースの「ゆとり」のごとく恥も外聞もなく目先だけをみてお座敷車に追加で改造するにも、客層変化でそもそも需要そのものが急激に低下しており、元の14系にも戻せないとあればもはやどこにも居場所はなく、老朽化や利用減少などを理由に2000年3月に運用を終了。廃車となった。
専用カラーに塗り替えられた機関車はその後も車籍を有して運用され続けたが、EF65は2015年10月に上越線で修理不能な故障が発生。翌月に長野総合車両センターへ二度と還らぬ旅に出た。