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概要編集

戦前の1930年代に計画された日本の高速鉄道計画の通称。鉄道省内部の呼称は「広軌幹線」もしくは「新幹線」であった。....そう、戦後の東海道・山陽新幹線の原型である。


戦争勃発により輸送力増加に対応できなくなる恐れがあったため、東海道本線山陽本線の別線として東京下関間を標準軌規格で建設し、高速運転を行おうという構想で、さらには連絡船を用いて朝鮮満州方面へのアクセスも考慮されていた。将来的には「大東亜縦貫鉄道構想」として朝鮮半島への直通が構想されており、車両の規格も内地の在来線ではなく満州と朝鮮のそれを踏襲し、高さ4800mm、幅3400mm、車体長25m。後の新幹線のものとほぼ同じだが、高さは300mm大きくとられていた。


1940年代に入り路線建設を開始したものの、戦争が激化して建設は中止。そのまま終戦を迎えた...が、戦時中に(しばしば強引に)買収された用地はそのまま残り、現在の東海道新幹線が通るルートの主要部分はこの弾丸列車計画の路線を踏襲している。東海道新幹線がわずか3年半の工期で完成したのは、弾丸列車の遺産あってのことである。なお、山陽新幹線区間に関しては、戦後土地を地主に返還したため戦前の弾丸列車計画とは別ルートを通っている。兵庫県内の用地の一部は加古川バイパス用地として転用された。また、岡山県内に関してはその後も山陽新幹線計画がすぐに具現化しなかったこともあり、山陽電気鉄道網干線の赤穂延伸計画に併せて当時の岡山市長が主導して笠岡~玉島~大元駅~西大寺~赤穂の用地を転用して、これに関連する岡山駅~大元駅の鉄道用地と併せて岡山急行電気鉄道として実現させる構想もあったが、山陽新幹線が岡山まで延伸されたことから計画を取り下げている。


新幹線との違い編集

後の新幹線と違うのは機関車列車が前提の上、路線のかなりの部分が非電化区間であることである(主として軍事上の理由である)。電化方式も当時はドイツ語圏の16 2/3Hz交流電化の他は直流方式しかなかったため、直流方式の中で一番送電効率の高い3000V電化とされた。


狭軌の既存路線とは独立した系統で従来よりは高速で運転するものの、今日の「高速鉄道」ほどにシステム化されたものではない。当時走っていた東海道本線の特急列車同様、随所で機関車を交換しながら客車が走っていくというものである。


弾丸列車用の蒸気機関車であるHD53、HC51などの設計図が残っており、そこから模型も作られている。何れも満鉄パシナ型に類似した流線形・全周カバー付きの高速化対応蒸気機関車であった。模型は青と白に塗装されており、東海道新幹線を彷彿とさせる。


余談編集

「新幹線」は英語表記で「Shinkansen」のほかに「Bullet train」という表現も使われている。まさしく「弾丸列車」の名残でもあり、ヨーロッパでは「高速鉄道」全般を表す言葉として使われている。


ダンガンレーサーとは名前が似ているが無関係と思われる・・・のだが、後に発売されたタミヤの新幹線模型「楽しいトレインシリーズ」はダンガンレーサーのシャーシを流用しており、奇しくもダンガンレーサーと弾丸列車(≠新幹線)を引っかけたものとなった。


尚、弾丸列車計画当時は「弾丸道路」という高速道路も計画されていたが、こちらは戸塚道路のみが戦後に開通しており、後年の日本道路公団の高速道路計画に引き継がれることはなかった。


関連項目編集

高速鉄道 新幹線 弾丸 列車 南満州鉄道(満鉄) あじあ

ダンガンレーサー 新丹那トンネル

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