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概要編集

APTとは、Advanced Passenger Train(先進旅客列車)のことである。

1970年代のイギリス国鉄におけるイースト・コースト本線(ロンドン-エディンバラ)・ウェスト・コースト本線(ロンドン-グラスゴー)の旅客輸送の高速化に重点を置いた試作車両である。


第二次世界大戦後、イギリス蒸気機関車が当たり前のように走っていたのだが、1960年代までにはディーゼル機関車気動車の導入、路線の電化などである程度の動力近代化を進めていた。そんな中、敗戦国であったはずの日本が時速200km以上を出す東海道新幹線を開業させたことで、それに触発されたフランスドイツイタリアでも高速鉄道を計画・開業していった。このような時代の中で、イギリスにおいても旧来の客車列車からの脱却した、高速運転を行う列車の開発に着手することとした。その試作車がAPTである。


グレートブリテン島を縦断する2つの幹線のうち、ウェスト・コースト本線は線形が悪く、新幹線のような高速路線用の専用軌道を敷設するだけの予算が降りなかったため、線路建設よりも低予算で済む高性能車両によって高速化を果たそうと計画がなされた。


車両の種類編集

APT-E編集

1972年製造。ガスタービン発電機を搭載した電気式列車で、制御動力車2両で付随車2両を挟む4両編成となり振り子機能(車体傾斜装置)と連節台車を採用。

試験結果こそ良かったものの、ガスタービン発電機の騒音・排気・燃費問題が解決できず、量産化には至らなかった。

現在、イギリスのヨークにある国立鉄道博物館に保存されている。


APT-P編集

2番目に計画されたAPTで、1978年製造。正式名称はClass370(370形)。

振り子機能・連節台車(動力車のみ通常のボギー車)といったE型の特徴を踏襲しつつ、E型の失敗からTGVのような動力集中式の電気車となった。


…まではいいのだが、日本でも寝台列車でよくみられた「機関車で客車を引く」のではなく「制御客車と客車が中間動力車を挟む」というとんでもない姿で登場した。

当然ながら動力車を挟んだ客車間の往来は非常時以外は出来ず、元から中間車として設計されたので動力車に運転台は当然設置されなかった。


当時のイギリス国鉄最速記録(最高速度約260km/h、ロンドン-グラスゴー間4時間14分)を樹立したものの、振り子機能に関する欠点が多すぎた(車体傾斜装置が作動中に突然中立に戻る、傾斜させた車体がホームと接触する等)ことから、試験走行を兼ねた営業運転の開始後僅か4日で営業運転から撤退。更にブレーキ装置の故障といったトラブルが解決の兆しを見せなかったことから、1984年の試験走行を以てAPT計画の打ち切りが決定となった。


現在はE型同様、クルー鉄道博物館とシルドンのイギリス国立鉄道博物館(分館)にて静態保存されている。ただし国立鉄道博物館に収蔵されているのは、中間動力車のみである。


APT-S/APT-U編集

APT-Pの技術を培って量産化する予定だった列車群。

しかし上記の通り列車としてあまりに酷い有様だったことから1両も生産されず、APT計画とともに白紙にされた。


関連する車両編集

IC(Inter City)225編集

APT計画の後に開発された電気機関車の客車列車。営業最高速度225km/h(路線の改良が出来なかったため実際には200km/h)。APTと同時期に開発されたHSTと同じ「インターシティ」の名が与えられたが、コスト削減としてAPTから問題となった振り子機能・連節台車といった技術を省略した上で、APTから設計が流用された(ただし将来的な振り子機能の技術発展を見据え、振り子機能が搭載できるような設計になっている)。


こちらは(ごく一般的な)機関車牽引の客車であり、91形電気機関車とDVTと呼ばれる荷物車を兼ねた制御客車でマーク4形客車を挟んだ編成を組成する。大きなトラブルもなくHSTと共に現在も活躍している。ただし2019年より日立製作所製の800形によって淘汰が進み、2020年にはヨーク以北の運用から撤退している。一部の91形は博物館で保存されたほか、2021年には編成ごとの保存を目指す保存団体も発足している。


IC250編集

特に際立った問題がなかったIC225だったが、イギリス国鉄・議会が地上設備の更新に難色を示し(現在でも設備上の問題で制限速度は200km/h)、同車が出せる営業最高速度225km/hが満足に活かせなかったことから計画された列車。

振り子機能を採用し、同時期に提案した地上設備の更新も合わせ営業速度を250km/hまで引き上げるという、いわば「90年代の技術を集結させたAPT計画の再開」とも言える車両だったのだが、財政難に陥っていたイギリス政府のイギリス国鉄民営化の荒波によって、先頭車のモックアップとイメージ図が作られただけに留まった。


その後の展開編集

で、結局振り子機能がダメだったの?編集


と思われるかもしれない。


APT計画の最中、振り子機能の特許に関しては1982年にイタリアのフィアット社鉄道部門に売却され、ETR460シリーズに採用されたAPT由来の車体傾斜装置「ペンドリーノ」として日の目を見ることになった。

後にフランスの鉄道メーカーアルストムがフィアット社から鉄道部門を買収、同社の「ペンドリーノ」はヨーロッパ各国の高速列車・在来線特急に積極投入されることとなり、結果として速達化における欧州最高の車体傾斜装置として一大ブランドとして大成していく。


ペンドリーノを採用した代表例

・イタリア国鉄(→現トレニタリア) ETR460ETR600ETR610

・ドイツ国鉄 ICE-T


そして民営化されたイギリス鉄道においても、ウェスト・コースト本線にアルストム社製振り子電車Class390「ペンドリーノ・ブリタニコ」が導入された。最高速こそ時速200kmのままではあるがロンドン-グラスゴー間を3時間55分で走破し、APT-Pで樹立した同区間4時間14分を25年ぶりに更新した。


じゃあ、気動車だからダメだったんじゃね?編集


と、思うかもしれないがこれもまた弟子筋がやらかした


1989年にデビューしたJR四国2000系気動車は世界初の振り子式気動車として完成、量産化され成功をおさめた。

1067mm軌間の日本在来線用車両ゆえ、最高速は120km/h(改良型では130km/h)に過ぎないが、600Rにおける曲線通過速度は本則+30km/hを実現した。

これは1968年当時に同世代の電車である485系と対等以上の性能を実現したキハ181系以来の快挙。この間、直噴式ディーゼルエンジンの採用など技術的な進歩はあったのだが、軌道の制約故に、額面上の性能の刷新はこの時が初めてとなる。


従来、ガスタービン機関よりも動的部分の重量が大きいレシプロ機関ではカウンタートルクが大きく振り子式は不可能と言われていたが、2000系は6気筒エンジンを2基背中合わせにして搭載することでお互いのカウンターを消している。

ただし、エンジンの搭載方法はキハ50形以来の方法で、真新しいものではない。


以降、JR各社や一部の第3セクターは続々と車体傾斜機構付特急形気動車を投入した。


JR北海道


JR西日本


JR四国


智頭急行


いずれも日本の地理的要因に対して応える形で投入された。一方、線形がよく時短効果が期待できないケース(『はまかぜ』)には、振り子機構がなく輸送単位が大きいキハ189系が投入されている。


つまるところ編集

APTによって計画された技術は間違ってはいなかったのである。

それで失敗するのがイギリスのイギリスたるゆえんなだけであって


関連タグ編集

高速鉄道 英国面

HST:形式名「インターシティ125」。APTと同時期に開発・生産された「ディーゼル機関車牽引で世界初の時速200km運転」を記録した特急列車。既存の技術を基にしているため、大きなトラブルを抱えることなく量産された。

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