概要
パシナ型蒸気機関車は、戦前の南満州鉄道が運用した蒸気機関車。1934年に満鉄沙河口工場と川崎車輌で計11両が製造された。
主に満鉄の特急「あじあ」に使用され、戦後の鉄道ファンの間でも有名な存在だった。
その外観は流線型のカバーで覆われ濃紺色で塗装されており、牽引する客車ともども流線型になるようにデザインされていた。
形式名は「パシフィック型(軸配置4-6-2)」の「7番目」を意味する。
軸重軽減のために従台車を2軸としたハドソン型(軸配置4-6-4)とする案もあったが、開発期間が短く失敗が許されないことからすでに実績があるパシフィック型とした。仮にハドソン型だった場合は満鉄初のハドソン型のため「ハドイ型」になっていたことになる。
軽量化や軸重軽減のため機器類を機関車前方に集中配置し、自動給炭装置の動力を炭水車に搭載するなどの工夫が施された。
また、1936年に製造された最終製造機である12号機は「ヘルメット型」と呼ばれる特異な前頭形状をしていたと言われる。
これは川西航空機で風洞実験が行われた結果新たに作られた流線形カバーで、初期生産車では露出していた連結器もカバーに収めているのが特徴である。
この12号機は他の車両と異なる塗装を施していたという説がある。
当時の満鉄理事には国鉄広軌(標準軌)推進派の技術者島安次郎もいた。島自身はパシナ型および「あじあ」の開発には直接関与していないが、新幹線計画の前身となる弾丸列車計画計画において、1941年に鉄道省関係者を招いてパシナ型の性能試験を実施、この実績をもとに島の息子島秀雄はドイツ国鉄05型蒸気機関車を参考にしたハドソン型の蒸気機関車HC51型を設計している。
パシナ型はアメリカ式、05型蒸気機関車はドイツ式の設計で設計手法は異なるが、HC51型は動輪や軸配置など基本設計は05型を参考にしている一方、パシナ型同様燃焼室や自動給炭機を備え05型の2倍近い大きな火室を誇るなどアメリカ式設計の影響も強く見られる。
戦前の運用
特急「あじあ」での運転開始当初は7両を大連、4両を新京に配置し、奉天駅で機関車を交代していた。その後運用成績が安定してきたことから交代せずに1両のパシナが牽引し、奉天駅で乗務員だけが交代する形となった。
軸重約23tと重く大連~新京間の連京線でしか運用できなかったため、1935年に「あじあ」の運行区間がハルビンに延長された際にはこの区間のみパシシ型(パシイ型だったとする説もある)に交代した。その後この区間も重軌条化されたものの最後までパシナ型はこの区間には入らず、パシロ型が運用に就いた。
戦後
戦後は長い間消息不明となっていたが、1983年に藩陽駅付近の蘇家屯機関区において廃車寸前の姿を日本人ファンが確認。その翌年には中国国鉄と日中鉄道友好協会、日中旅行社共催のイベントで日本人を招き、構内限定であるが走行する様子が動画に収められた。当初は本線走行まで想定していたがすでに廃車寸前になっていたことから断念され、パシナ型が牽引する予定だったイベント列車は前進型が牽引した。
当時日本人ファンがパシナを追ったドキュメンタリー映画『真紅な動輪』が制作され話題となった。
車体塗装は満鉄時代を意識したライトブルーだったが、動輪だけは中国国鉄仕様の赤色だったことがタイトルの由来である。
また同時期に3両のパシナが発見されたがこれはいずれも解体されている。うち1両は流線形カバーを外されて普通の機関車と変わらない外観になっていた。
その後満鉄会が中心となって返還運動も進められたが実現することはなく、車両も動態保存が難しいと判断され、再び"消息不明"となった。
しかし、2000年代になって再びパシナが映像に収められることとなる。
JR東日本が復活させた蒸気機関車「C61 20」の復活を描いたドキュメンタリー番組。その作中において、監督である山田洋次氏が中国を訪れ、パシナを見学するシーンがあったのである。この時のパシナは黒塗装に白帯。足回りは赤に塗られ、大連の機関庫に収められていた。
さらに2019年。中国の藩陽鉄路陳列館において保存されていることが日本人ファンによって確認された。それも2両。1両は1980年代に発見された751号機(パシナ970)、もう1両はつい最近発見された757号機(パシナ976)である。
757号機は「アジア757」、751号機は「勝利 751(《勝》は月偏に《生》と書く簡体字)」の番号が振られており、757号が濃緑色、751号が水色に塗装されている。
前述のように1982年当時の751号機は水色に塗られていたが、1984年頃には751号機も濃緑色に塗られている写真が確認されている。
余談
「あじあ」の機関車と思われがちであるが、数がそろった後は急行「はと」の運用にも入っている。1943年の「あじあ」運行休止後は「はと」運用が中心となったが、普通列車を牽引することもあった。
また、登場時は様々なメディアで紹介されたが、客車共々「芋虫」と形容されてしまうこともあった。
パシナの車体色については現存する2両について沙河口工場製のSL751がライトブルー(青22号に近い)に、川崎製のSL757が緑色となっているが、少なくとも前者に関しては本当にそのようなカラーリングだったのか疑わしいという意見も歴史家や研究者から挙がっている。
「大陸の鉄輪」(田邊幸雄著・プレスアイゼンバーン刊行)の文中においては「現役当時のモノクロ写真・模写等から判断するとこれほど明るいものであったようには見えない」と記されている。事実、当時の写真や映像等を見る限りでは暗色系のカラーリング(おそらくは青15ないし20号あたりが近いとみられる)であることが明らかであり、一説によれば新聞の誤植、すなわち本来ならば濃青色と書くべきところを何らかの手違いで淡青色と表記してしまい、それが世間に浸透してしまったのではないかという考察も鉄道趣味者によってなされている。
登場作品
「第六話 アジアエクスプレス」にて特急「あじあ」の牽引機として登場。水色塗装の車番「970」(パシナ型1号機)であった。
ボランティア活動で訪れた家の老人と共にパシナ型の模型を完成させるべく戦前の満洲に向かう。
- 『栄光なき天才たち』 第15巻「満鉄超特急 あじあ」
パシナ型および「あじあ」の開発に携わった人々を描く漫画。
- 『真紅な動輪』(1982年東映)
前述の1980年代のパシナ型を追ったドキュメンタリー映画。主題歌をチャゲ&飛鳥が歌った。
ネオ香港決勝大会に向かうゼウスガンダムと並走していた。