葛西敬之
かさいよしゆき
1940年10月新潟県に生まれ、東京都で育つ。東京大学卒業後は国鉄へ入社し、分割民営化後はJR東海で社長、会長、名誉会長を務めていた。
国鉄時代は松田昌士(のちJR東日本社長・会長)、井手正敬(のちJR西日本社長・会長)と並ぶ「国鉄改革3人組」の1人として知られ、国労や社会党の反対を押し切って現在の形にJRが分割された背景には、当時の中曽根康弘政権との関係をてこにした「国鉄改革3人組」の暗躍があったとされる。
ネット上での批判
ネット上(特に静岡関係および鉄道関連)において葛西は以下の通り最悪ともいえる評価を受けている。
JR東海社長に就任後はワンマン経営を推し進めたとされている。最新型の新幹線車両や新幹線専用の運行管理システムの積極的な導入を行う等東海道新幹線を徹底的に強化することで、大幅な増収増益を達成。一方、在来線に関しては車内サービスの簡略化や運転区間の短縮、旧体制の運行管理システムの影響による遅延などの影響で平均的に約5分から10分の遅れは当たり前という(これは未だに解消される見込みは無い)サービス水準の低下が目立ってしまい沿線住民からの評価は芳しいものではなかった(その結果としてマイカー通勤へ切り替わる利用者が多くなってしまう結果となった)。
JR東海初代社長の須田寛とは対照的に政治志向が強く鉄道への思い入れに乏しい人物とされ(後述)、葛西が経営の実権を握っていた時代のJR東海は、JR他社や私鉄(名鉄と近鉄)への敵対的な姿勢が目立ち、集客イベントや特別列車の設定も不熱心であった。「俺様」・「無味乾燥で面白味が乏しい」・「退屈」といった同社の経営姿勢の元凶として、沿線住民だけでなく鉄道ファンからも総じて嫌われる人物であり、『JR東海はつまらない会社』というイメージもこの人のせいと言える。(葛西の求心力が失われいていくにつれてこのようなイメージが薄れていった)
また、国鉄労働組合(国労)や国鉄動力車労働組合(動労)など、労働組合に強硬な姿勢を取った中心人物であり、これについては評価は真っ二つに割れる。「労使関係を正常化し、サービスを向上させた」といった称賛から、「法令を無視した不当労働行為を行い、労働組合を弾圧した」といった非難(後述で触れるが、実際は合法である)まで存在する。
さらに東海地方の政経界との関係も最悪であり、むしろ中央政経界とのパイプが強かった。
…と、葛西に対するイメージは最悪ともいえる評価となっている。
ネット上の評価に対する異論・反論
ところが先述のネットの評価は鉄道ファンや労働組合の一方的な主張による所謂ノイジー・マイノリティの部分が多く、時系列が合わない内容の指摘や地方紙・専門誌による調査、および経済評論家などによって以下の異論・反論が展開されている。
政経界との不仲について
まず「葛西は東海地方の政経界と仲が悪く、嫌がらせの為にのぞみの名古屋飛ばしを行なっていた」とあるが、まず通過していた「のぞみ」は朝の下り1本(新大阪行きのぞみ301号)のみで、それ以外列車は名古屋に停車している(つまりこの1本のみで騒ぎを起こしていたのである)。また、「のぞみ」が設定された時の社長は須田寛で、葛西は副社長の立場だったので、仮に嫌がらせが理由であれば須田によって阻止されるであろう。
実際は「のぞみ」が運行された当初、保線後に地面を固める機器が未発達であり、始発列車を使って地面を固めていたが、そのため安全上の理由から保線を実施した区間は徐行せざるを得なかった。一方『東京発6時の列車に乗れば午前9時からの大阪の会議に間に合う』というキャッチコピーで売り出していたため東京新大阪間2時間30分運行は絶対であったが、名古屋に停車した場合それが達成できなかった為の決断であった(実際東海地方の政経界から抗議を受けた際は、須田が社長として説得に出向いている)。
しかし名古屋のマスメディアは先にリークされた結果『名古屋飛ばし』のみが大々的に報道され、「本社所在地なのに最優等列車を通過させるとは何事か」と所謂JR東海バッシングを行なっていた。つまり名古屋のメディアリテラシーに問題があり、明らかな風評被害である。また、名古屋駅だけでなく京都駅も通過していたが、こちらは『そんな時間に観光客は乗らないから1本ぐらいいいだろう』ということで理解を示しており、反発していたのは名古屋の財界とメディアのみである(当初はビジネスマンや住民も反発していたが、実際は東京名古屋間は後続のひかり1号(東京6:07発)に乗れば8時10分頃には名古屋に到着し(名古屋駅から主要オフィス街である栄に向っても9時前には到着可能)、さらに翌1993年にはのぞみ1号が設定され8時前に名古屋に到着できるようになった。名古屋新大阪間に関しても6時台から名古屋始発のひかりがあり、それに乗れば午前9時どころか8時前には大阪に到着できたので不便を感じることはほとんどなく、次第に落ち着くようになった)。葛西が社長に就任した後の1997年に地面を固める機械が開発・導入され、それによって名古屋飛ばしは解消されており、葛西はむしろ東海地区の政経界に配慮した対応を行なっている。
なお、当時多数運行されていた寝台列車も名古屋を通過していた列車があったが、通過時間が深夜1時や2時など他の公共交通機関が動いていない時間帯であったため特に騒ぎになっていない(他の公共交通機関が動いている時間帯の列車はきちんと停車している)。
在来線軽視について
在来線に関して「(のぞみ停車で確執のある)静岡地区でトイレ無しのロングシート車両を大量に入れて嫌がらせをしている」「低品質な車両を率先して導入している」「安全軽視」など散々な評価であるが、これらについてもまったくのデタラメである。
まず静岡の在来線サービスについて静岡新聞が流動調査を行なったところ、静岡地区は短区間の利用者が多く、出入りも激しいためクロスシートよりロングシートが適しているという地域に見合った施策を行なっていることが判明している。また静岡地区は同じ地域規模の仙台や広島と比較しても高頻度運転を行なっており、駅トイレも充実している。つまりトイレ無しに当たっても一旦駅で降りて用を足せばすぐに次の列車が来るのでロスはあまりなかったのである(2024年より315系の導入が進んでおり、トイレ無し列車はなくなる予定である)。同様に静岡地区に快速を走らせないのも途中駅の利便性に考慮したもので、短区間利用の多い静岡県民からすればそちらのほうが有難かったりする。なお、2022年3月よりセントラルライナーで使用されていたクロスシートの313系8000番台が静岡地区に投入され、ネット上で長距離移動の18きっぱーだけは歓迎していたが、短距離利用の静岡県民は席が空いているのにドア付近に立ったままだったり、併結しているロングシート車両へ移動したり更には座席の向きを変える習慣が無い為逆向きのままだったりと使いづらさが否めない状況となっている。そもそも静岡の在来線サービスが悪いとの主張は大抵が18きっぱーの主張で、システム上JR東海の利益が少ないのに東海道本線(静岡地区)に関して「増車増発しろ」や「快速を走らせろ」など過剰設備投資や静岡地区の流動状況を無視した主張を行なっており、中には「静岡県民も混雑には困っていて18きっぷと同じ考えだ」や「新幹線で儲かっているなら18きっぱーに還元しろ」など手前勝手も甚だしい主張をしている者もいる。
車両についても「葛西が社長に就任した時の211系5000・6000番台はトイレがなく、373系はデッキがない低品質に対し、後に就任した松本の時にトイレ付の313系が導入された」という記述が散見されていたが、211系5000・6000番台が導入された1980年末から1990年代初頭および373系の導入が開始された1995年時点での社長は須田で、313系の導入が開始された1999年時点での社長は葛西である。このように導入時の間違いが散見されている(373系は導入当初「165系を追い出した悪者」として過剰なバッシングを受けていたが、現在はそのバッシングも沈静化している)。
「約5分から10分の遅れは当たり前」についてもJR東海に限った話ではなく大都市圏では普通に起きている。海外に目を向ければ5分や10分では済まないところが多く(イギリスは「15分以内で来ることが奇跡」と言われ、オランダも10分以内は定時扱いで、1分でも遅延扱いしているのは日本ぐらいである)、また自動車通勤も渋滞にはまったら時間が読めないのでこの話も話半分である。
さらに言うとJR東海の判断で管内の路線が廃線になったことがなく(岡多線は国鉄時代に愛知環状鉄道への移管が決定していた)、JR6社で唯一営業係数や乗車人員を公表しないのも廃線する予定の路線がないので公表する必要がないと言われているほど在来線を保護している会社である。高山本線や身延線が台風被害を受けた際も国や自治体からの復興資金に頼らず自費を投じて気合で復旧させたり、参宮線も伊勢で力のある沿線の和菓子業者が廃線論を唱えた時も相手にせず現在も運行を続けている。唯一名松線のみ水害で末端区間で廃線が議論されたことがあるが、JR東海が所有管理できない部分の治水を自治体がすることを条件に6年半かけて復旧している。
その他ATSに速度照査をつけたり(2005年に発生したJR福知山線脱線事故において速度照査の導入が遅れたJR西日本と比較し、マスコミから評価されている)285系電車を一部自社保有にしたりとむしろ在来線にも投資を行なっているのだが、何故かこれらは評価されず悪い部分ばかりクローズアップされている。
ちなみにJR西日本では数時間に一本しかこない線区にトイレ無しオールロングのキハ120系や105系を導入したことが問題になったが、JR東海ほど叩かれていない。キハ120と105系は後にトイレ設置の改造が行われた)。
※ただし、紀勢本線の105系(元・岡山電車区)は減便も重なって猛烈な批判を喰らっており、他の要因も合わさって更なる乗客減少に至る。また、岡山電車区のクロスシート車213系を紀勢本線へ転用するのが最適解ではという声もあった。
他社との不仲について
よく槍玉に挙げられる例として「葛西の傲慢な態度で他の鉄道会社との仲が悪く、特にJR東日本と(私鉄の)名鉄は犬猿の仲の為に寝台列車廃止や在来線の直通運転が縮小された」とあるが、これについても信頼性が欠けるものとなっている。
まず鉄道は公共交通機関であり、険悪という感情だけで廃止や直通運転の廃止・縮小を決められるものではない。民営化後は車両乗入時に車両使用料や線路使用料など様々な費用が重くのしかかり、また安全面に関しても法律の厳格化でその分コストが増大。さらに全国共通の車両を製造していた国鉄と異なりその地域に見合った車両を各社製造するようになったが、これを他社に乗り入れるとするとそこを走らせるための設備追加やハンドル訓練が必要で、さらに民営化後の取り決めにより車両使用料の問題も発生する。ダイヤが乱れた場合に直通先を巻き込み、最悪の場合ダイヤが破綻してしまうリスクも国鉄時代に比べて増えている。このようにコストや手間が増大している状態で乗り入れのメリットが薄くなり、次第に縮小されているのは自然な流れになっていくであろう。
特に寝台列車については国鉄末期時代から慢性的な赤字であり、車両の老朽化による置き換えを実施しようにもどの会社がどれだけ負担するかで大変手間がかかる。昨今では高速バスの増発などで利用者が奪われており、乗車率も20~30%台と大幅に低下していた(寝台列車の場合定員の少なさや整備の煩わしさで損益分岐点が高く、100%でも雀の涙ほどの利益しか出なかったと言われている。付属していた食堂車にいたっては満席でも大赤字で国鉄が補填していたほどである。)。これについてもJR東海の独断で廃止できるものではなく、他社も同じ考えであることから相次いで廃止に至っている。
私鉄との険悪に関しても名鉄から乗り入れていた北アルプスを2001年まで走らせていたり、近鉄に関しても京都経由奈良方面への切符を共同で販売しているなど不仲というには疑問符がついている。伊豆箱根鉄道7000系の乗り入れを拒否された際も鉄道ファンからは嫌がらせと言われていたが、実際はドアが特殊で共通運用がしづらく、さらに信楽高原鉄道で衝突事故が起きたことで乗り入れそのものが敬遠される風潮になったのが正解である。
切符についても販売窓口で手数料を差し引かれる場合が多く、JR東海は新幹線の比率が高いことからJR東日本などの他社窓口で購入となると手数料でかなりの負担となっている。その為にJR各社では自社内の窓口や改札でしか利用できない切符を相次いで販売しているが、利用者が切符に記載されている簡単な注意書きも読まずにJR他社の窓口や改札を利用しがちで特に駅が共有で混在し利用者も多い東京駅や新大阪駅周辺でこういったトラブルが多い事から『こういうトラブルが多いのはJR東海のせい』や『せめて窓口の所はJR東海線専用窓口と記載しろ』というイメージが強くなりがちとなっている。
整備新幹線での発言
先述で他社との対立について否定的見解を述べたが、実際に葛西が他社と対立している事柄として、整備新幹線が挙げられる。整備新幹線は、「第2の国鉄」を作らないよう、建造費は国と地方自治体でまかない、JRからは「受益を限度とした」貸付料を徴収することで、JRグループの負担が過大にならない仕組みになっている(鉄道・運輸機構「整備新幹線の建設」)。
葛西は北陸新幹線の金沢以西、九州新幹線、北海道新幹線に対して、財務省の財政制度分科会で「鉄道の人間としてみると極めて懐疑的」と表明した(財務省「財政制度分科会(平成30年5月14日開催)議事録」)。葛西は、JR東海が自力でリニア中央新幹線を建造していることを強調しており(葛西敬之「■ご意見の内容」)、鉄道も道路も、新規建造は「必要最小限」にして、必要ならば「民間の力」で行えばいいと主張した。
要するに、葛西はJR他社に対して「新幹線が欲しければ、全部自費で作れ」と主張したとして鉄道ファンからは反発を受けているが、経済や地方創生関係者からはあながち間違ったことを言っていないとされている。というのも整備新幹線は地方自治体に負担を押し付ける形となり、それが原因で沿線地域が疲弊する可能性が高いからである。実際西九州新幹線では佐賀県が「費用対効果が薄い」として武雄温泉駅以東の建設に否定的で、北陸新幹線安中榛名駅や北海道新幹線奥津軽いまべつ駅など地元負担で百億円以上かけて駅を設置したものの利用者がほとんどおらず維持するだけでも一苦労となっている。また、整備新幹線で建設すると並行在来線はJRから独立した第三セクター経営(一部例外あり)となり、その費用負担が重くのしかかるなど、開通後に自治体が苦しんでいるというニュースが後を絶たない状態となっている。
一方でJR東海が建設を進めている中央新幹線は自社負担=整備新幹線でないことから開通後も並行在来線は第三セクター化されることはなく、駅舎も最低限の設備分はJR東海が負担することになっている(それ以上の設備が欲しければ自治体負担になるが)。つまり葛西は自治体負担を考慮したうえでの発言で、将来の負担を考えずに集票に躍起になる首長や議員に対して釘を刺したものと捉えることもできる。
葛西が忌み嫌われる理由
このように葛西に対して数々の批判が繰り広げられているのは財界関係では渡辺恒雄や竹中平蔵に匹敵し、特に鉄道関係の労働組合や鉄道ファンからは親の仇ともいわんばかりに恨まれているが、これは葛西が鉄道業界に関わった経緯とその後の方針や姿勢が影響しているとされている。
葛西は学生時代は鉄道業界に一切興味がなかったが、ある日通学中に定期券を落としてしまい、荻窪駅に届いていることを聞き駅へ向かうと駅員から「君東大生?国鉄に入社すれば出世しやすいよ」と言われ、国鉄入社を決意したと本人が著書で述べており、要は「鉄道には興味ないけど出世しやすく権力を掌握できそうだから」という鉄道好きと分かり合えないのも納得の経緯で国鉄に入っていることになる。入社後は順調に出世街道に乗った葛西であるが、1970年代になると国鉄の経営問題や労組問題に悩まされ、特に国労や動労の順法闘争に悩まされることになる。これに対し葛西は松田や井手らと共に徹底抗戦の姿勢を見せ、特に葛西は首相だった中曽根康弘をはじめとした自由民主党や官僚・メディアを味方につけては早期民営化のため世論を煽動するなど急先鋒に立ったとされ、その結果1986年11月に国鉄分割民営化が成立した。
しかしその強引な手段により国鉄の労働組合、特に国労を徹底排除したことから国労関係者から恨まれることになる。民営化について動労など一部組合は渋々応じたが国労は断固して徹底抗戦の構えを見せると、葛西は元東京地裁判事で法務課調査役だった江見弘武と相談し、合法的に国労を解体する手段に出る。その手段は「国鉄を分解民営化するのではなく地域ごとの新会社(JRグループ)を作り国鉄職員は全員そこへ再就職することになるが、新会社に従順することが(暗黙の)採用条件である。」「従順が嫌なら残るのもありだが国鉄は清算事業団に変えて債務整理が済んだら解体するからそれまでに転職先探してね。」で、要は国鉄の継承だと雇用継続となり労働基準法などが適用されるが、新会社へ移行であれば新規採用扱いとなるため法律よる保護がされなくなり、国労にいたらどの選択もおめーの席ねぇから!となり、それが合法的にまかり通ることになるのである。この事実を知った国労の組合員は顔面蒼白となり、一気に20万人が脱退し、しかも内ゲバまで起きたことで国労は壊滅状態となったのである。このように葛西からすれば国労も潰せて新会社も自分の思いのままという一石二鳥となったが、国労関係者からすれば親をキルされたも当然のことをされ、さらに振り分けでJR東海に入社した者は御用組合に加入させられ(給与は高いが)徹底した管理下に置かれるなど不自由な状態となり(実際葛西が代表権を持っていた頃はJR東海社員のセルフ異界送りが相次いでいた)、結果葛西に対する憎悪を増大させてしまった(江見がのちにJR東海へ天下りしたのも火に油を注いでいるとされている)。
また、元々政治と経済以外には興味を示さず、かつ収益の少なさや管理の煩わしさもあってジョイフルトレインの廃止やサブカル関連の使用許諾制限、廃車発生品の流出阻止など徹底した管理や制限を行なっていた(古くから付き合いのある鉄道模型関係や、イメージ向上を目的としたテレビドラマのみ認可している)が、この姿勢は鉄道ファンはじめサブカル関係からすれば面白くなく、これらファンと深い溝を作る結果となっている。
そして政界や主要メディアなどの権力をバックにつけ、労組関係者や鉄道ファンからすれば数々の逆なでした言動を繰り返している葛西に対して「なにがなんでも追い落としてやる」という逆恨みともとれる感情が芽生え、調べればデタラメということがわかる話も既成事実化させていた(ピク百の本記事も最初期は労組関係者または鉄道ファン視点による否定的な記述が書かれている)。しかし鋼鉄の心臓を持つとされる葛西からすれば「外野の戯言」「言わせておけばよい」としか思っていなかったようで、数々のバッシングも全く動じず労組関係者や鉄道ファンがやっていたことは暖簾に腕押しでしかなかった模様である。
他の3人組との関係
3人組の1人である松田昌士と犬猿の仲で、JR東海がJR東日本と仲が悪いと言われる理由がこの2人の対立にあるとされている。実際労組を徹底排除したい葛西に対して松田は国労から派生して誕生したJR東労組をはじめ労組を保護したばかりか集会に参加して「共に戦おう」と発言し、また後述の通り中国高速鉄道への技術供与に関しても葛西と真逆の対応を行なっていた。松田の行為は右寄りの人たちからは批判され、逆に葛西を国益を守ったとして称えたが、労組関係者や一部鉄道ファンからすれば松田は正義で、逆に葛西は悪であるとの論調が強い。
3人組のもう1人である井手正敬は葛西に恭順し国労組合員に対して通常業務をさせずに車両清掃や草むしりばかりさせるという一種の追い出し部屋を構築し、民営化後それを日勤教育として発展させた結果JR福知山線脱線事故という重大事故を起こして失脚している。また、隠居後産経新聞のインタビューでJR東海とJR西日本の合併構想をぶちまけていたが、金子慎JR東海社長(当時)が「井手氏の勝手な構想で葛西は同意していなかった」と否定している。
政治的思想
財界における代表的な保守論客の一人でもある。
フジサンケイグループ・読売新聞等の保守系メディアや自民党との関係も強い。(読売のライバルである)中日新聞とは敵対関係でもある。また民主党や日本維新の会の保守系議員とも繋がりがある。
東海道新幹線のグリーン車に置いた雑誌『Wedge(参考)』にも、自身や懇意にするメディアの影響を強く及ぼしており、直接寄稿したこともある。
安倍晋三を熱心に支援しており、安倍政権に強い影響力を持っている財界人とされる。第一次安倍政権時には教育再生会議委員に就任した。また、第二次安倍政権での籾井勝人のNHK会長就任は葛西の強い推薦で実現したとされる。
「ゆとり教育は迷走している。社会や国家への自己犠牲、奉仕の精神を備えるリーダーを育てたい」と主張しており、その理想をもとにした全寮制の中高一貫校(海陽中等教育学校)を2006年に蒲郡市に創設している。実際に同校の2代目理事長を務めたこともある。
この時期には珍しい男子校(女子版は特に無い)ということもあり、しばしば「自分の方が時代錯誤」「マッチョイズムの権化」などと批判されるが、同校の創立にはトヨタや中部電力など錚々たる面子が協力しており、ひいては中部地方の財界そのものにそれを良しとする風土があったことは頭に入れておく必要がある。
この流れから親米・反中であり、日米同盟の強化を支持しているが、歴史問題ではアメリカの対日姿勢を批判している。
リニアに関しては日米同盟の強化を優先して、アメリカへの輸出を渋々ながら提唱した。
中国への新幹線技術供与には反対した。中国政府の汚さから現地で勝手に改変され新幹線の安全やサービスの質が低下したパチモンを作られそれをニセ新幹線としてばら撒かれると予想したためである。
この危惧は実際にJR東日本と川崎重工が2005年から輸出したE2系→CRH2で半分以上現実のものとなっており、両社に対しても激怒していたという。
「他社との不仲」説の一因にもなっていたが、こればかりはネットでも葛西側の肩を持つ論調が多数を占めた(と言うかこの一件と安倍晋三人気が再評価の機運を作ったとも言える)。
なお、JR東海は後に川崎重工との取引を停止しているのだが、それは2017年に川崎重工がN700系の台車を不正加工したことで引き起こした重大インシデントという、より直接的な利害関係が原因である。
時折激怒した葛西がそのまま出禁にしたものとして語られることがあるが、時間的にも10年以上離れているので二つの問題は分けて考えるべきである。珍しく好意的な見方から発生した「時系列がおかしい」誤解と言える。
東海豪雨での対応
葛西が批判を受けている最大の要因として下記の東海豪雨での対応が挙げられる。
2000年に発生した東海豪雨がある。この時東海地方の各鉄道事業者は相次いで運休を行っていたのに対し、東海道新幹線は葛西の鶴の一声で定時性を優先したため無理をして運行を続けた結果足止めを喰らう列車が続出、結果最大で22時間21分の遅延を起こす事態(運休を除けば現在でもこの記録は破られていない)に陥った。さらにその後の社長定例会見で、「あれは未曾有の大災害が原因で、正常で適切な運行だった。」と発言。鉄道ファンだけでなく世間からもバッシングを受け、更には運輸省(現・国土交通省)からも会見内容を含め注意を受けたことから、2日後に「多くの乗客にご迷惑をおかけした」と謝罪するに至っている。
なお、この件で『たまたま葛西がのぞみに乗車しており、足止めを喰らった車中で乗客が車掌に詰め寄った光景を見て自分が襲われるのではないかと思い込み、他の車掌に頼んで多目的室に避難した』という噂が当時の2ちゃんねるやYahoo!知恵袋で書かれ、さらにウィキペディアにも長い間書かれるなど事実として流布されていたことがある。但しこの件について目撃情報がなく、豪雨で新幹線が止まっていたのに葛西が乗ってたのはあまりに不自然であること、一部左派機関紙やタブロイド紙はこの噂をもとに記事にしていたが全国紙や仲の悪いとされている中日新聞、このような話に熱心な週刊新潮や週刊現代といった主要週刊誌も触れていない。先述のウィキペディアの記述もIPユーザーによる荒らしであることが指摘され、出典を求めてもそれがなかったことから現在では削除されている。このような噂が流れた理由として(先述のネット上での評価で察するに)葛西を快く思わない者が葛西の評判を著しく追い落とそうと創作し、黎明期だったインターネット上で拡散された説が有力である(詳細は都市伝説を参照)。
女性問題
副社長時代の1991年と1992年の二度にわたり不倫現場を週刊誌にすっぱ抜かれており、特に2度目の時は「女性宅の警備費用をJR東海が負担している」ことが報じられている。ちなみに1回目はFOCUS、2回目はFRIDAYのスクープであるが、どちらも一時期JR東海管内のキヨスクから締め出されていた。
社長になると銀座のクラブで豪遊していたという目撃情報がいくつか挙がってる。なおホステスからの評判は…お察しください。
葛西は2004年、松本正之に社長職を譲ったものの代表取締役会長に就任し権力を誇示。ジョイフルトレインや保有機関車の全廃や他社の乗り入れ縮小を行なっている。松本正之がNHK会長に就任したため山田佳臣が後任した後も会長職に留まり、キハ25という車体がほぼ313系の気動車版を誕生させるなど合理化を推し進めていった。
山田佳臣がJR東海会長に就任することになった2014年には代表取締役名誉会長が創設され、就任。名誉会長なのに代表付の取締役という理解不能な立場を設定したことで永久に権力を誇示させたかったのだろうが、さすがに葛西・山田・社長に就任した柘植康英の3人が代表職に就任している状況を「トロイカ体制」と批判された(しかも批判したのが葛西寄りの論調をしている産経新聞)ことから、2018年に代表権のない取締役名誉会長となり、2020年には肩書から取締役が外れており、晩年はただの名誉会長となっていた。
なお、葛西は代表取締役名誉会長に就任した2014年以降は海外・政治担当となりJR東海の社務に直接関与することはなくなったが、それと同時にアニメやゲームなどサブカル関連とのコラボレーションが行なわれたり、JR東海公式が廃車発生品の販売を行なうようになるなどこれまでの方針が一部転換され、このことが上述の「葛西はファン嫌い」を実証することになった。
このように次第に影響力が少なくなっていく中、2022年5月25日に間質性肺炎の為逝去した。享年81。その1ヶ月前の画像がウィキペディアに掲載されているが、肺炎によりやせ細りさらに鼻チューブで気道を確保しているという痛ましい姿ながらもテキサス高速鉄道の売込みのためアメリカ駐日大使と会談を行なっている。訃報を受け安倍晋三元総理大臣(この1ヶ月半後に凶弾で倒れている)をはじめ、アメリカ大使館や各経済誌などが哀悼の意を述べ、告別式には愛知県知事や愛知の経済界など二千人が参列した。
一方5ちゃんねるやヤフコメでは氏の逝去に対して批判的コメントで溢れ返り、特に後者は数千件にもおよぶ壮大な死体蹴りが行なわれたことから、一部記事ではコメント欄を閉鎖・非表示化する事態になっている。その後もリニア関連や経済誌の回想記事で度々名前が挙がり、その都度ヤフコメでは炎上している。逝去してなお影響力を誇示しているあたりやはり生前の活動と人間性が並々ならぬ人物であったことがうかがえる。