路線データ
路線名 | 名松線 |
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路線区間 | 松阪〜伊勢奥津 |
路線距離 | 43.5km |
軌間 | 1,067mm |
駅数 | 15駅 |
最高速度 | 65km/h |
非電化区間 | 全線 |
単線区間 | 全線 |
閉塞方式 |
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保安装置 | ATS-PT |
運転指令所 | 東海総合指令所 |
第一種鉄道事業者 | 東海旅客鉄道(JR東海) |
概要
松阪駅(三重県松阪市)と伊勢奥津駅(津市)を結ぶ東海旅客鉄道(JR東海)の鉄道路線で、地方交通線。
路線名の由来は名張と松阪を結ぶ路線として建設を計画された事による。しかし参宮急行電鉄(現在の近畿日本鉄道(近鉄)の母体の一つ)によって名張と松阪を経由する路線(現在の近鉄大阪線・山田線)が開通した事で名松線を名張方面に伸ばす理由を失い、結局伊勢奥津駅までの開通に留まった。
松阪駅〜家城駅間では全国のJR旅客線で最後の票券閉塞式を採用している区間であり、家城駅〜伊勢奥津駅間も数少ないタブレットによる閉塞を実施している。
幻の「桜松線」
そもそもこの路線は現在の三重県松阪市と奈良県桜井市を三重県名張市経由で結ぶ桜松線の一部として建設された。
名松線区間に加え、1922年(大正11年)に開通していた伊賀鉄道(後に伊賀電気鉄道に改称。現在の伊賀鉄道伊賀線を所有していたが、現在の法人とは別会社。)を国有化した上で桜井市方面へ向かう計画であった。
ところが名松線部分開通後の1930年(昭和5年)、参宮急行電鉄が前述の通り桜井駅から名張駅・松阪駅を経由して山田駅(現・伊勢市駅)まで、現在の近鉄大阪線及び山田線に相当する区間を開通させた。
結果重複する名張と松阪を結ぶ路線は旅客営業としては不要となり、結局伊勢奥津駅まで敷設するに留まった。
赤字路線
前述の経緯から三重県山間部のローカル線となってしまった為、日本国有鉄道(国鉄)時代から有数の赤字路線だった。
その為赤字83線に選定されたり第二次特定地方交通線として廃止が申請される等何度も廃止の危機を迎えているが、並行する道路が未整備である事を理由に廃止を回避してきた。
なお、除外線区を除くと同じく第二次特定地方交通線として廃止申請されたものの撤回された路線に東日本旅客鉄道(JR東日本)の岩泉線があった。名松線同様に自然災害で長期間不通となっていたが、東日本大震災にトドメを刺される形で復旧を断念し廃止されている(JR東日本管内の復旧費用が莫大な額となった為、大赤字の岩泉線を復旧させるメリットが全くなかった事による)。
バスによる接続
最低1度の乗り換えを必要とするものの、終点の伊勢奥津駅から近鉄大阪線名張駅までは、かつての路線計画の穴埋めのように三重交通の路線バスが走っている。名張方からは敷津まで、伊勢奥津方からは美杉町飯垣内までで、後者は津市美杉コミュニティバスの1路線。また、名張方は毎日運行する一方、伊勢奥津方は平日のみ運行する。
2路線とも国道368号を走行し、大半は三重県内を走行するが、道路の都合上、途中で奈良県宇陀郡御杖村敷津地区に立ち寄る。
かつては名張駅と伊勢奥津駅とを直通する便が4~6往復ほどがあったが、末期は伊勢奥津を発着するのは朝の伊勢奥津発名張行き・夕方の名張発伊勢奥津行きの計1往復のみで、伊勢奥津駅発は名松線の初便が同駅に到着するより前に出発してしまっていた。基本的に沿線から名張を経由して近鉄に乗車し通勤・通学地へ行くことを想定したダイヤである由。
このほか、家城駅からは三重交通による津市白山コミュニティバスが、近鉄大阪線の榊原温泉口駅とを結んでおり、津市白山地区の中心部が完全に家城駅寄りにあるにも拘らず、鉄道の本数は圧倒的に近鉄が勝るためか、こちらのバスは土休日も含め、比較的本数が多い。
事故・災害
車両逸走事故
名松線では家城駅で2度も車両が勝手に走り出す逸走事故をやらかしており、chakuwikiにおいてネタにされている。もちろん決してこれとは関係がない。
1回目は2006年(平成18年)8月20日未明、夜間に最終列車として到着した車両に運転士がハンドスコッチ(車輪止め)を装着し忘れた為、松阪駅方面に無人の車両が8.5kmにわたり暴走。伊勢大井〜井関駅間で停止した。この事故の後に、使用車両のキハ11形一般形気動車に対して「エンジンを切ると自動的に直通予備ブレーキが作動する」ように改修が行われた。
2回目は2009年(平成21年)4月19日、家城駅で列車入換作業中に運転士が5分ほど車両を離れた所無人で走り出し、前回と同様の箇所へ逸走した。原因は前回と同じ「ハンドスコッチの装着し忘れ」。ヒューマンエラーによる同じ事故を二度も起こした事で、中部運輸局によりJR東海へ行政指導が行われた。
その為対策としてそれまで行われていた家城駅での車両入換作業を廃止し、終点の伊勢奥津駅から家城駅まで回送していた列車は松阪駅まで回送するように改めた。またこれにより家城駅で夜間滞泊を行うのは1両だけになった。
台風・豪雨による被災
開通から計4回台風及びそれに伴う豪雨で被災しており、その都度不通区間が発生し復旧するのを繰り返してきた。
特に被害が大きかったのは4回目、2009年10月8日の台風18号「メーロー」による被害である。
家城駅〜伊勢奥津駅間の複数箇所で路盤流出や土砂崩れが発生。10月15日に松阪駅〜家城駅間は復旧したものの、家城駅〜伊勢奥津駅間の復旧は2016年(平成28年)3月26日までかかり6年以上の期間を要した。
この時JR東海では廃止も検討されていたが、沿線自治体が治山・治水工事を行う事を条件に復旧する事となった。
なおこの区間は台風のみならずシカを中心とする野生動物との衝突事故にも悩まされている。
沿革
開業から全線開通まで
- 1929年(昭和4年)8月25日:鉄道省管轄の官制鉄道として松阪駅〜権現前駅間開通。権現前駅開業。
- 1930年3月30日:権現前駅〜井関駅間延伸。伊勢八太駅、井関駅開業。
- 1931年(昭和6年)9月11日:井関駅〜家城駅間延伸。伊勢川口駅、家城駅開業。
- 1935年(昭和10年)12月5日:家城駅〜伊勢奥津駅間延伸に伴い、現在の区間が全線開通。伊勢竹原駅、伊勢鎌倉駅、伊勢八知駅、比津駅、伊勢奥津駅開業。
全線開通後から国鉄分割民営化まで
- 1938年(昭和13年)1月20日:伊勢田尻駅(現・一志駅)、伊勢大井駅、関ノ宮駅開業。
- 1959年(昭和34年)9月26日:伊勢湾台風により被災。伊勢竹原駅〜伊勢奥津駅間が不通となる。
- 1959年11月23日:全線運転再開。
- 1960年(昭和35年)8月1日:上ノ庄駅開業。
- 1965年(昭和40年)9月:無煙化。
- 1965年10月1日:貨物営業廃止。
- 1968年(昭和43年)10月1日:伊勢田尻駅を移転及び一志駅に改称。
- 1982年(昭和57年)8月1日:台風10号「ベス」により被災。全線で運転見合わせ。
- 1983年(昭和58年)6月1日:全線運転再開。
- 1984年(昭和59年)6月22日:第二次特定地方交通線としての廃止申請を運輸大臣が保留。
- 1985年(昭和60年)8月2日:保留されていた廃止申請が撤回される。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、JR東海が第一種鉄道事業者として継承。
国鉄民営化以降
- 1989年(平成元年)2月20日:一部列車でワンマン運転開始。
- 2004年(平成16年)9月24日:台風24号「メアリー」により被災。全線で運転見合わせ。
- 2004年10月4日:全線運転再開。
- 2006年8月20日:家城駅構内で一度目の車両逸走事故発生。
- 2009年4月19日:家城駅構内で二度目の車両逸走事故発生。
- 2009年4月24日:国土交通省がJR東海に対し行政指導を発出。
- 2009年10月8日:台風18号「メーロー」により被災。全線で運転見合わせ。同日よりバス代行を実施。
- 2009年10月15日:松阪駅〜家城駅間運転再開。バス代行区間短縮。
- 2010年(平成22年)3月13日:参宮線への直通運転区間を鳥羽駅から伊勢市駅までに短縮。
- 2016年3月26日:全線運転再開。バス代行及び紀勢本線・参宮線への乗り入れ終了。
運行形態
全列車がワンマン運転の普通列車。定期の優等列車は設定されていない。また全線復旧前は上り列車のみ紀勢本線・参宮線まで乗り入れていたが、復旧後は線内運用のみ。
松阪駅〜家城駅間は8往復、家城駅〜伊勢奥津駅間は下り7本・上り8本設定されている。このうち全線通しの運行は6往復。残りは家城駅発着で、松阪駅方面と伊勢奥津駅方面の列車の一部が同駅で接続する。
駅一覧
※徒歩連絡。双方とも乗換案内及び連絡運輸は行っていない。
使用車両
現在の使用車両
名古屋車両区所属の一般形気動車が使用されている。
- キハ11形300番台・キハ25形
キハ11形300番台は通常運用されている車両。検査等で車両が不足した際にキハ25形が代走する。
過去の使用車両
国鉄民営化後の車両のみ記載。
いずれも伊勢車両区(廃止)所属。
急行形気動車(キハ58系)及び一般形気動車(キハ40系・キハ11形)。
キハ58系・キハ40系は国鉄時代から民営化後しばらくの間、キハ11形0・100番台は全線復旧の前年まで運用されていた。
萌えキャラ
JR東海とは全く関係が無いが、名松線の活性化に取り組む沿線の団体「名松線を元気にする会」によって奥津ハルカというキャラクターがつくられている。