概要
2005年4月25日午前9時18分ごろ、JR西日本福知山線(JR宝塚線)の塚口駅→尼崎駅間を走行中の快速電車(207系4両編成+3両編成)が猛スピードで右カーブに突っ込み、進行方向左側のマンションに激突、乗客と運転士合わせて107人が死亡、乗客562人が負傷する大惨事となった。
死者数はJR発足後最悪であり、戦後では八高線の列車脱線転覆事故(184名)、鶴見事故(161名)、三河島事故(160名)に続いて4番目、戦前・戦中にさかのぼっても7番目となる甚大な被害を出した。
平成時代を象徴する出来事の一つとして、今なお有名である。
現場は運転再開直後から2010年(平成22年)10月までに速度超過で列車が緊急停止する事態が11件も起こっており、速度が出やすい魔のカーブとされている。
事故について
発生日時
2005年4月25日午前9時18分
発生場所
兵庫県尼崎市 福知山線塚口駅→尼崎駅間(尼崎から1k805m付近)
事故列車
宝塚発同志社前行き 上り快速 電第5418M列車(207系4両Z16編成+3両S18編成)
概況
塚口駅→尼崎駅間で、制限速度70km/hを大幅に超える116km/hで右カーブに突っ込み、先頭車両から5両目までが脱線、前2両が左側にあるマンションに衝突した。
負傷者
乗客106人と運転士1人(当時23歳)が死亡、乗客562人が負傷した。合計の負傷者数は669人であり、乗客・乗員のほぼ全員であった。
原因
直接的な原因は速度超過であるが、背景には私鉄との競合によるスピード優先のダイヤ設定や、日勤教育と呼ばれる制度があり、これらは盛んに報じられた。
当時、JR西日本は近畿地区を中心に運行していた阪急電鉄、京阪電鉄、近畿日本鉄道等多数の大手私鉄会社との鎬を削りあっており、更に事故発生路線である福知山線は、阪急電鉄の宝塚線・神戸線・伊丹線との激しい競合が続き、その結果JRは大半の乗客を低運賃でアクセスが良い私鉄側に取られてしまい、売上が大幅に落ち長年に渡り赤字が続いていた。これらの危機的状況からJR西日本上層部は運賃の値上げでは無く、乗客を取り戻す作戦を提示。それは、主に通勤ラッシュ時のスピードアップや駅停車時間の短縮による所要時間短縮や運転本数増加など、目前のサービスや利益を優先する事で乗客を更に増やすというものだった。
その為には運転手及び車掌に対する上記の日勤教育というスパルタ指導方法を定め、運転時間は秒単位で1秒の遅延も許さず、定時運行を徹底化させた。その甲斐あってJR西日本は多数の私鉄会社から乗客を取り戻し、かつての売り上げを取り戻す事に成功した。
しかし、後にその日勤教育は、ミスの再発防止という名目でありながら、その実態は単なるいじめ・パワハラで同然である事が判明し、具体的には僅かに遅延を発生させたり、規定の運転を定められなかった運転手に対し乗務員休憩室や詰所、点呼場所から丸見えの当直室の真ん中に座らせ、事象と関係ない就業規則や経営理念の書き写しや作文・レポートの作成を一日中させたり、プラットホームの先端に立たせて発着する乗務員に『おつかれさまです。気をつけてください』などの声掛けを一日中させたり、敷地内の草むしりやトイレ清掃などを命じるなど、いわゆる見せしめや晒し者にする事例もあれば、個室に軟禁状態にして管理者が集団で毎日のように恫喝や罵声を一日中浴びせ続けるというもので事故列車の運転士も嫌がる発言をしていたことが確認されている。
以降、ネットスラングとして鉄道関係の懲罰を日勤教育と揶揄されるようになった。
ダイヤに関しても、遅延を一切想定していないという強引な条件で組まれていた上、快速の停車駅増加後もほぼ据え置きという無茶ぶりであり、元からラッシュ時の遅延が常態化していた。 事故の当該列車となった快速は一部区間でマイナス10秒(各駅停車0秒が、快速は更に10秒短く設定)となっていた為、どう足掻いても定時運転出来ない破綻ダイヤであった。
先述の日勤教育への恐れから事故直前にオーバーランを起こし、そのリカバリーのために大幅な速度超過に走ったと見られている。
対策として、JR西日本全体で所要時分見直しが行われた。主な例を抜粋。
- それまで大阪~姫路を最速57分で走っていた新快速は62分程度に伸びているが、定時性及び姫路での折返し時間が改善されている。
- 事故現場を通る福知山線尼崎~宝塚は最高速度が95km/h、事故現場のR300カーブは制限速度が60km/hに落とされた。
- 山陽新幹線ではのぞみ号の新大阪~博多での最速所要時間が2時間23分に伸びた。2017年の新ATC導入により、現在は博多発東京行最終便(N700系使用)が2時間21分に再び短縮。
事故の影響
- 従来の207系は青+白+水色の帯だったが、本事故の影響により帯色を紺色+オレンジに変更した。また、321系もデビュー直前で同じく紺色+オレンジの帯に変更した。205系0番台は一旦阪和線に転属した後、一時的に東海道本線に戻った際に紺色+オレンジにされているが、こちらは阪和線への再転属時に元の青色の帯に戻され、奈良線に転用後も青帯を保っている。
- ATS-Pを搭載していない117系は同日限りで福知山線から急遽撤退。これにより車両が不足したため、JR東日本から103系(武蔵野線ケヨE38編成)を購入したり、一度は福知山線から撤退した113系を再配備して対処した。
- 交通科学博物館に展示されていた221系先頭車を模した運転シミュレーターは事故の起きた区間が含まれていたため東京の中央線に差し替えられた。但し、図書室の書庫に収蔵されている鉄道関連書籍(鉄道ファン、鉄道ジャーナル等々)のうち、207系旧塗装の写真が掲載されているページが含まれた本は問題なく閲覧可能。
- Nゲージ鉄道模型では、TOMIXの207系旧塗装は絶版となり、現在に至るまで再生産されていない。当然だが中古はプレミアが付いている。KATOでは207系2000番台が計画されていたが、お蔵入りとなった。
- PSGより発売のビデオ「てつどう大好き 走れ!快速列車」及び「でんしゃがいっぱい!みんなのまちの電車」では福知山線の快速列車が紹介され207系も登場していた(他に221系、113系800番台が登場)が、後に発売された改訂版ではいずれも福知山線の紹介自体がカットされた。
- 事故後しばらくは、なんら無関係なJR西日本社員への嫌がらせが相次いだ他、私鉄が並行している区間ではそちらに切り替える利用者が増えた。
- きかんしゃトーマスでは相次ぐ鉄道事故の影響で暫く事故シーンのあるお話は自粛となった。
- 海外のメディアからは鉄道版タイタニック号の悲劇と報じられた場面もあり、きかんしゃトーマスでじこはおこるさが嘘から誠なりになった。
その他
- 空撮写真では7両編成のうち6両しか確認できない。これは先頭車1両がマンション1階の駐車場に丸ごと突っ込んだため。
- 事故直後は付近の住民や企業が救助活動にボランティアとして参加した。また、あまりに負傷者が多すぎたため、兵庫県警の特認によりトラックの荷台に乗せて病院まで搬送した。10年前の阪神淡路大震災の教訓がこのような形で生かされた。
- 事故列車にはJR西日本社員が2名乗車していたが、会社指示により救助活動に加わらず出勤している。理由は役員の講話への出席という、事故の規模を鑑みれば至極関係なかったことから、当時のJR西日本の安全軽視の象徴として猛批判を浴びた。
- 事故後は鉄道の安全性に関する議論が高まり、JR西日本以外の各社も経営方針に安全を据えるようになった。
- 宮内庁は負傷者を救護活動した民間人に天皇陛下からの勲章を授与する事にした。
- 事故発生の約1ヶ月半前の3月2日には、高知県宿毛市の土佐くろしお鉄道宿毛線宿毛駅構内で岡山発宿毛行特急「南風17号」が速度超過のまま駅に進入し、停止しきれず同駅の車止めを突破し駅舎に衝突、運転士が死亡し車掌及び乗客に負傷者を出す大事故が発生している。この年は宿毛と福知山線の2件の大事故が相次いで発生した為、鉄道への信頼を大きく揺るがす事になった。
- この事件の原因とされる「上層部の無茶ぶりの責任を現場に丸投げされる」「ヒューマンエラーを根拠のない精神論で矯正しようとする」という風土は日本の組織のあちこちで見られ、いわゆるブラック企業体質の典型例として度々話題となる。
後日談
本事故では手足が不自由になったり切断を余儀なくされる重傷を負った被害者も複数出た。
そのうちの1人で当時大学生だった岡崎愛子は頸髄損傷で首から下が麻痺する重度の後遺症を負ったが、一念発起してアーチェリーを始める。そして16年後の2021年、東京パラリンピック(2020年)に日本代表として出場し5位入賞を獲得している。
その後
事故車両
1~4号車(Z16編成):姫路市内の倉庫で保存され、希望する遺族や怪我人に公開。
5~7号車(S18編成):宮原の車庫で保存。
→吹田市に建設される施設に移転し保存予定。1~4号車は復元が難しいため部品ごと、5~7号車は編成ごと保存。
事故現場には祷りの杜が置かれている。
関連タグ
山陽電鉄本線 阪急京都線:十数年以上に亘って余裕時分ゼロの危険ダイヤを組んでいる路線(2022年12月17日現在)で、どちらも福知山線脱線事故後に組まれており、本件を対岸の火事としか見ていない。更に、10分間隔のダイヤに京とれいん雅洛を捻じ込んだのが原因で余裕時分マイナス2分の列車・区間も存在する。