概要
東海道新幹線開通を控えた1962年に先行して完成していた鴨宮モデル線で各種試験や運転手の訓練などを目的に製造された試験車。
2両編成のA編成、4両編成のB編成が製造され、後から0系の量産先行車でもある6両編成のC編成が追加製造されている。
2編成を使用したすれ違い試験、A・B編成を連結した6両編成とC編成のすれ違い試験、A・B・C編成全てを連結した負荷試験などが行われた。
メカニズム面は0系と殆ど変わらないが、
- 乗降口は外吊り式プラグドア、
- ボンネットの連結器カバー内部に蛍光灯を設置した光前頭、
- 前照灯は1灯式シールドビーム(0系は2灯式)、
- 運転席の窓ガラスに曲面ガラス(B編成のみ、比較検討用として東京方の先頭車に0系と同じ平面ガラスを採用)、
- 車体裾のスカートが長い、
- 屋根上の静電アンテナの形状が針金を曲げたような簡素な逆L字形、
- B編成には比較検討用として車体にX鋼体を採用した関係で六角形の窓となった車両がある、
- ボンネット側面中央に列車番号表示用小窓を設置する、
など、形状に関しては0系と異なる部分が多く、試験の結果オミットされた要素も多い。
1963年3月30日、B編成が当時の世界最速記録となる256km/hを達成。これを記念したプレートがB編成に設置されている。
当初は、試験終了後には記念車として保存するという声もあったものの、保存場所の選定が難航したため断念されたが、車両そのものはまだ経年的に新しく、他の用途に転用出来ないかと検討された結果、業務用車両として再利用する事となり、A編成はモデル線での試験開始から2ヶ月後に電気試験車へと改造され、1964年8月に941形救援車へと再改造された。B編成は1964年7月に922形へと改造されている(両車は後に、前照灯が0系同様の2灯式シールドビームと、運転席の窓が平面ガラス(941型の大阪方の先頭車は曲面ガラスのまま)に再改造されている)。
なおA編成の救援車としての出番は幸いにも1度もなかった。
1975年8月に0系1・2次車の廃車開始に合わせて浜松工場へ設置された新幹線車両車体解体設備の試運転(試し切り)に供され廃車・解体された。
その成り立ちは世界的にも類を見ず、その後の鉄道の概念を根本から覆し、
モータリゼーションの煽りを受けて世界的に斜陽化しつつあった鉄道の未来を救った史上初の高速鉄道「新幹線」。
その始祖としてこの世に生を受けた1000形は、華々しい栄光と世にこだます称賛を受けるであろう後継者に希望を託すが如く、自らは裏方としてまさに身を粉にして貴重な試験データを遺し、
最期は保存車両としての余生も捨てて解体設備の稼働試験にその身を捧げるなど、
誕生から最期の瞬間まで裏方である試験車両としての使命を全うし、波乱にして実りある生涯を終えたのである。