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スハ44系

すはよんじゅうよんけい

スハ44系客車とは、1951年から日本国有鉄道が製造した客車形式・スハ43系の亜種(一部に分類されることもある)で、特急専用3等車を別に分類した一群である。
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概要

スハ44系は、機関車牽引時代の特急のサービス向上のため別途起こされた新形式である。
戦後の運転再開後も当初はスハ42スハ43など3等車については急行とほぼ同程度の設備で、急行よりただ速いというだけであった。
当初は2等固定クロスシートのオロ40であったが程なく是正、3等車では急行と特急ではかろうじて扇風機の有無が違う程度(当時は扇風機すら贅沢な装備とされた)。
それを、料金格差に見合うサービスレベルに引き上げるべく別形式を起こしたものである。
特に荷物合造車は戦後新造されていなかったため、戦前製のスハニ32が引き続き用いられ、同一列車内の他の3等車にすら見劣りした(押さえた席が1号車というだけで残念なことになる)。これの改善のための存在がこれらスハ44系である。
特急の「ハ(3等車)」だからか「特別3等車」だからか、「特ハ」という記述も一部にはある。
但し増発が続く中、最終的に全数を置き換えるには至らず、中にはスハ44系で登場しながらも、「新車への置き換え」で内装が前級スハ43系とほぼ同じ10系へ逆戻りした列車もある。

2等車食堂車などの優等車は43系のスロ54・マシ35や60系のスロ60が引き続き用いられた(一部はその時点で車齢20年超の戦前製食堂車も継続使用された)。
そのため、特急専用という特別用途ながら、スハ44系に属するのは全室3等車と3等緩急車・3等荷物合造車だけとなる。したがって形式は、スハ44・スハニ35・スハフ43で全てである。
スハフ43に至っては、新造時点より当該形式だったのは3両しかない。

戦前にも窓幅こそ狭窓であるもののシートピッチがゆったりしたオハ34(一応スハ32系に属する)が製造されているが、特急座席車として製造されたのは12両のみという小世帯で、勿論ごく一部の列車に繋がれていただけであった(戦中戦後一時期130両超の両数があったが、それらは全て使用停止した3等寝台車を座席車に改造し、席数が同じという理由でこの形式に押し込んだだけのものである。一部の戦災廃車を除き後年全て寝台車に復している)。
同時代の3等座席車が20m級中間車で88人が標準であったのに対しオハ34は80人、クロスシートの椅子そのものの作りは他とほとんど同じだが、その分座席間の蹴込の寸法が大きく空いており(455~470mmに対し600mm)、長時間の乗車に対応していた。
スハ44も同じく20m級で80人乗りクラスであるが、特急で乗降の頻度が少ないため、デッキは1両1箇所で足りるとされ、潰した片方のデッキ分(おおよそ900mm:従って900÷10=90mmだけ1区画あたりの空間が増える)だけ各座席の間隔が広がることになった。
加えて、現代の電車特急と同様に、全席が進行方向を向く前提となり、バスのように一方向きの席が20列並べられた。リクライニングはしないが、通常の3等車座席より傾斜が取られ、当時の日本人の体格からするとかなりゆったりとした作りとなった。また、蒸気暖房の客車であり、座席下の空間はまるまる空いているため、足先が電車のようにつっかえることはない。
現代だとこの手の車両の座席は回転クロス転換クロスであるが、固定式で済まされたのは、当時はデルタ線で編成ごと方向を変える前提であったため。
東京では品川駅近辺(現在の湘南新宿ライン及び横須賀線)、大阪では福知山線宮原操車場で大回りをして向きを変えていた。福知山線尼崎塚口だけ東海道線全線電化と同時期に電化されているのは、この方向転換仕業のためであった。
車両の向きを変えず座席だけ方向転換するのは151系以降のことである。

後年、近代化改造の時点で方向転換不要なよう座席を転向可能なものに取り替えているが、今の回転クロスシートのそれと異なり客が銘々に向きを変えて座る前提のものではない。この時期に、スハ44に車掌設備を取り付けてスハフ43とした改造車両が増備されたが、車掌室をデッキ内側に置いたため外観は原型車と明らかに異なる。

特急運用から外れた後も一部車両は急行「銀河」などそれなりの優等列車運用を持っていた。今鉄道車両として生き残っている2両は四国のローカル列車に使われた後国鉄での廃車となり、日本ナショナルトラストが購入して大井川鐵道で車籍を取ったスハフ43原型車である。

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別名・表記ゆれ

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特急 スハ43系 35系 スハ32系

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