曖昧さ回避
概要
主に「町人」とは、江戸時代に都市部の持ち家に居住していた者(武士、被差別階級などにカテゴライズされた者を除く)の総称である。農山漁村部における百姓と対置される存在で、商人や職人などを営んでいる者が多かった。
室町時代、貨幣経済の発達を背景に京や堺をはじめとした都市部に形成され、17世紀以降の江戸時代に身分として確立した。落語などに出てくる八公・熊公などは大家の持ち物である長屋に住む「借家人」であるため厳密に言えば町人にはあたらない。また商人や職人の家に住み込みで働いていれば「奉公人」である。
さらに「町人」と一括りにいっても、表通りに大店(おおだな)を構える富裕な町人から、裏通りで裏店(うらだな)を営む下層町人まで階級的落差には大きな開きがあった。有力な町人は町衆と呼ばれ、都市の政治を支配した。近世は町人文化が発展した時代で、富の蓄積によって大名や旗本の財政面を支配する者もあったが、商売の失敗や火事で没落して借家人になる町人も多かった。
戦国時代などに比べると、江戸時代は身分は固定されるようになったが、それでも有力な町人や、能力が高い町人は、武士に取り立てられることもあった。例えば、坂本龍馬を輩出した坂本家は、元は商人であり、6代の直益の代に郷士株を買い、武士になった。渋沢栄一は、元は農民であったが、一橋慶喜の目に止まり、家臣となっている。新選組の面々も、多くが町人や百姓の出であったが、その活躍から多くが武士に取り立てられている。
なお、江戸時代の町人は、名字を持たないと言われることもあるが、正確には公的に名乗れないだけで、名字は持っていた。