カースト
かーすと
※本項目ではヒンドゥー教における種姓制度について説明します。『黄金の太陽 失われし時代』に登場するキャラクターについてはカースト(黄金の太陽)を参照してください。
「カースト」という単語は、もともとインドに最も早く到達したヨーロッパの国であるポルトガルの言葉が由来であり、意味は「血統」である。ポルトガル人は、インド独特の身分制度であるヒンドゥー教の「ヴァルナ(大まかな階級)と、ジャーティ(細分化された職業)」を指す時に、「カスタ」と呼んだ。その言葉は、いつの間にかインド自身にも取り込まれ、やがてインドをイギリスが支配すると、この単語は英語にも取り入れられ、「カースト」と呼ばれるようになった。やがて、この英単語は日本にも伝わり、日本でも「カースト」という名称が定着した。
ちなみに、インド人が「カースト」という制度に言及する際は、今でも外来語のカーストではなく、ヴァルナ(生まれ)、あるいはジャーティ(職)のいずれかを使う事が多い。ジャーティの方が、日本人の使う「カースト」という単語に近いニュアンスだという。
ヴァルナ
これらは親のカーストによって決まり、基本的に生涯固定である。
カーストごとの仕事をせず、他の仕事をすることは、たとえそちらのほうが上手くできたとしても禁じられている。
こういった「親から子など、一族内での職の継承」という文化自体は、日本の部民制や、ヨーロッパのギルド制など、他の文化圏でも見られる。しかし、インドのカーストが特殊なのは、それが宗教と密接に繋がっている点である。
また、因果応報・輪廻転生の考え方から、カーストは生前に身分に応じて善業を積めば、生まれ変わった際に上がり、逆に悪業を積めば下がるとされている。ただ、長い歴史の中で、それが常に厳密に守られたかというとそうでもなく、低いカーストの者がのし上がり、逆に高いカーストの者が落ちぶれて、別の職に移る事もあった。しかし、平時においては、カーストは基本的な価値観であることに変わりはなく、インドの宗教的価値観において、カーストの枠を外れることは、悪行に他ならなかった(例えば、ヒンドゥー教の終末論では「世界の滅びが近付く」時に起きる善が廃れ悪が蔓延る不吉な前兆や社会混乱の1つとして「カースト制度が崩壊する」があげられている)。
最も身分が低いのは、奴隷階級のシュードラである。そして、その下にさらにダリットがいる。ダリットは、「カーストの枠組みにも入れない者」すなわち「アウトカースト」と呼ばれ、奴隷以下、あるいは動物に近い扱いとなっている。
なお、これら4つの階級とダリットの中には、さらに細かくカーストが分かれており、その数は2000とも3000ともされる。
仕事の不自由意外でも、シュードラや、カーストに収まることができなかったアウトカーストの人々への扱いはあまりにも過酷であり、イスラム教や仏教、キリスト教などへの改宗の理由にもなっている。
また、名字(または日本で言う名字に相当するもの)で属するカーストが判ってしまう場合が有り、インド出身者・インド系の人物に名字をたずねる事は、意図せずして相手にとっての「地雷」を踏んでしまうようなセンシティブな行為となる可能性も有る。
聖典リグ・ヴェーダにある神話によると、原人プルシャの口からバラモン、両腕からラージャニヤ(クシャトリヤ)、両腿からヴァイシャ、両足からシュードラが生まれたとされている。
カースト制度は最初からあったのではなく、時代を経て形成されていっており、上記の神話を描いたプルシャ・スークタ(原人の頌)もリグ・ヴェーダの中では成立の新しい層に属する。
後代にまとめられた叙事詩マハーバーラタでも基本線はカースト支持だが、聖仙の口からも様々な異論が唱えられているのが見られる。が、時代がすすむにつれ、そうした異伝承の影響力は薄れ、カースト固定は進行していった。要は、世界中で見られる「親から子への職・身分の継承」が極端化したのが、インドのカーストと言える。
社会政策、職業安定という効用も一応あった。実際、聖者として名高いマハトマ・ガンディーも、カーストには肯定的で、その理由の一つが「カーストは優れた分業制度であり、人々の生活の安定につながる」というものであった。また、インドではイスラム教の王朝が支配した時代も長かったが、彼らイスラム教徒も、本来は異教徒の風習であるこの分業制をメリットある社会制度と捉え、温存した。
しかし、結局の所、それは恵まれた者の傲慢さに過ぎない(ガンディーは、かなり高位のカーストの出であった)。実際に苛烈な差別を受ける人々は現実に存在している故、カーストはヒンドゥー教社会の枠組みであると同時に、他宗教、無宗教の人々から苛烈な批判を受けるウィークポイントでもある。
歴史学上での、西方からやってきたアーリア人が先住民を侵略制圧し、階層化した、という説も心に痛いものである。そのためインド・アーリア移住(侵略)説を否定する試みがヒンドゥー教徒からされたり、各カーストを生まれの階級ではなく、各個人の資質によるもの、という解釈もされており、英語のネット上でもよく見かける。
実際のところ、現在のインド人のDNAを調べてみても、カーストの違いによって、民族が固定されているという事例はほぼ見られない。少数民族であっても、高位カーストの者はいるし、アーリア系であってもアウトカーストの者は少なくない。そもそも、インドという地は、様々な民族が入り乱れた歴史を持っており、アフガニスタンやモンゴルなど、外来の民族が支配した時代も長い。そのため、現代のインド人で、もはや純血のアーリア人など存在しない。
歴史上、ヒンドゥー教内にもカーストを相対化する動きが無かったわけではない。現在でもカーストを問わないヒンドゥー団体が複数存在する。
外国人のジュリア・ロバーツがヒンドゥー教に改宗し、そのまま現在の仕事を続けられているのも(改宗者は本来シュードラになる)、上記の事柄が背景にあるものと思われる。
インドでも憲法では1950年にカーストは禁止されている(正確には、カーストを理由にした「差別」を禁止しており、カーストそのものは禁止されていない)。しかし、長年根付いた差別意識をぬぐい去るのは簡単ではなく現在も様々な問題が積み残されている。
「産まれた後にカーストは変更できない」「現在のカーストは過去の生の結果であるから、受け入れて来世でよいカーストになれるよう上位カーストに忠誠をつくして生きるべき」というカーストの価値観が根強く、そのため下位カーストに位置づけられる人々自身もなかなかそこから脱却できないという強い心理的な拘束を産んでいる。
そのため下位カーストとされる家に産まれると、十分な教育を受けられない故の悪循環が止まらず、様々な社会問題に繋がったり外国から非難されているため、インド政府も対応に苦慮しつづけている。
しかし近年においては、新たな職業の登場により旧来のジャーティには収まらなくなってきており、典型的なのがITエンジニアで、カーストを意識することはあってもは差別は無いとされ、実力主義となっているという。しかし、実際にはカーストという制度から逃れることは難しく、新しい職業も時間がたつにつれて、自然と「ジャーティ」の枠組みに入り、社会的な位置づけも決定する(もっとも、職業が、社会的な位置づけに大きく影響するのは、インドに限らず、人の性とも言える)。
また、都市部ではカーストの意識は大分薄れてきているようで、ヒンドゥー教徒でも自身のカーストを知らないという人も多いという。しかし村落ではいまだに根強く、特にダリットは村のはずれにまとまって住み、他のカーストと接さないようにされている。ダリットが殺されても警察が捜査しないということも、未だに起こりうる。
低いカーストの者や、カーストにすら入れないアウトカーストを救済するため、他の宗教に改宗させる活動が行われており、特に仏教はヒンドゥー教と思想的に近いうえに、改宗が最も容易とされる。そもそも、仏教が普及した理由の一つがカースト制度への反発によるものである。つまりは、仏教の存在が下位カーストの人間たちの受け皿になっていると言える。
上位カーストによる虐めに遭わないように集団改宗が行われているという。
ただ、インドという土地自体に、カーストの意識は強いため、ヒンドゥー以外の宗教でも、カーストの意識を持つ者は少なからずいる。このため、インドのイスラム教徒や仏教徒も、カースト否定と必ずしもイコールとはならない。
「カーストは、同じカーストの者と結婚する」と簡単に言われる事が多いが、実はかなり複雑である。というのも、異なるカースト同士の結婚は好まれないが、一方であまりに近いカーストの結婚も、忌避されるからである。近いカーストにあるということは、先祖同士の血の繋がりが濃いという理屈に繋がり、伝統的な価値観では、一種の近親相姦のように見られるためである(生物学的には、ほぼ無関係であっても、伝統的な価値観では近親と見なされる)。
法律上、インドでは同じカーストだろうと何だろうと、実際の血縁関係が近くない限り、結婚は全く問題がない。しかし、伝統的な価値観では、この「近親相姦」は、かなり強い禁忌とみなされているため、結婚を強行しようとした若者は「一族の名誉を汚した」とされ、親族から殺害されることすらある。
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