ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

目次 [非表示]

概要編集

奈良時代に朝廷が行った口分田増加計画。


内容編集

朝廷は6歳以上の農民に区分田を与え租税を徴収させ公地公民制を安定させていた(班田収授法)。しかし奈良時代に入って農民の増加によって区分田が不足しそれを解消するために養老6年(722年)に開墾を行うように以下の号令を出した。


  • 農民に10日間区分田を開墾

  • 国郡司で開墾しない者は罷免

  • 農民で荒地を開墾した区分田から3000石以上の収穫をあげれば勲位六階を授ける(1000石の場合は庸を終身免除する)

  • 出挙の利息は3割とする

主に奥羽地方の未開の地に向けた計画であったという。


結果編集

10日間の重労働や税の負担から逃れるために農民の不浪人化が増加しこの計画は失敗に終わった。さらに当時の日本の面積は八十八万町歩しか無かったという。その後朝廷は公地公民制を安定させるために翌年の養老7年(723年)に三世一身法を制定した。


関連タグ編集

奈良時代 朝廷 公地公民制 区分田

関連記事

親記事

奈良時代 ならじだい

兄弟記事

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました