概要
奈良時代に朝廷が行った口分田増加計画。
内容
朝廷は6歳以上の農民に区分田を与え租税を徴収させ公地公民制を安定させていた(班田収授法)。しかし奈良時代に入って農民の増加によって区分田が不足しそれを解消するために養老6年(722年)に開墾を行うように以下の号令を出した。
- 農民に10日間区分田を開墾
- 国郡司で開墾しない者は罷免
- 農民で荒地を開墾した区分田から3000石以上の収穫をあげれば勲位六階を授ける(1000石の場合は庸を終身免除する)
- 出挙の利息は3割とする
主に奥羽地方の未開の地に向けた計画であったという。
結果
10日間の重労働や税の負担から逃れるために農民の不浪人化が増加しこの計画は失敗に終わった。さらに当時の日本の面積は八十八万町歩しか無かったという。その後朝廷は公地公民制を安定させるために翌年の養老7年(723年)に三世一身法を制定した。