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井上内親王

いのえないしんのうまたはいがみないしんのう

井上内親王とは聖武天皇の皇女で孝謙天皇の異母姉。光仁天皇の皇后となるが廃后された。
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概要編集

光仁天皇の皇后。

聖武天皇の皇女、母は県犬養広刀自。

同母弟に安積親王、異母妹に孝謙天皇、異母弟に基皇子がいる。


経歴編集

養老元年(717年)に誕生、養老5年(721年)に伊勢神宮の斎王となる。38歳の時に当時45歳の白壁王の妃となり酒人内親王他戸親王を生む。

称徳天皇の崩御後の宝亀元年(770年)に白壁王が即位(光仁天皇)した時に皇后となり他戸親王が皇太子となる。しかし、宝亀3年(772年)に天皇を呪詛した疑いによって廃后となり他戸親王も廃太子となる。さらに天皇の姉難波内親王が薨去した際に内親王を呪詛した疑いをかけられ他戸親王と共に庶人に格下げされた。宝亀6年(775年)に死去。享年59歳。


怨霊伝説編集

宝亀7年(776年)から天災地変がしきりに起こり、同8年(777年)には藤原良継が、同10年(779年)には藤原百川が逝去したが、この両者は井上母子の失脚に関わったとされ廃后や廃太子の祟りと言われた。桓武天皇期になっても新たに造営した長岡京は造営中に藤原種継(良継と百川の甥)が暗殺されたり度々水害に見舞われたため廃后や廃太子さらに早良親王の祟りと言われた。和気清麻呂の献言で平安京へ都を移した後の延暦19年(800年)に井上内親王を皇后と追号し、御墓を山陵と追称した


血統編集


酒人内親王は異母兄桓武天皇の妃となり朝原内親王を生む。朝原内親王は異母兄平城天皇の妃となるが子は無く聖武天皇の血統は完全に途絶えた。


外部リンク編集

井上内親王 - Wikipedia


関連タグ編集

皇后 奈良時代 光仁天皇

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