概要
日本の百貨店チェーン。
元々は19世紀より続く老舗百貨店で、昭和中期からバブル景気期にかけてはマネーゲームを中心とした経済的バックボーンと地域毎の独立採算制(本社配下運営の「支店」ではなく、支店やそごう役員個人が出資する子会社や地域有力者を抱き込んで新規設立させた合弁子会社や孫会社が「そごうブランド」を用いて本部から離れた運営をしていた)を主眼として地方を味方につける交渉術により各地方の経済に食い込んでいた。
全体的には大型店舗と多店舗展開による拡大路線が軸となっており、1970年代以降国内外に急速に出店し、最大で約50店舗を国内外に展開し、売上高も91年度で1兆4000億円を数える巨大企業グループへと膨張した。
しかし地域独立採算制によるグループ資産のブラックボックス化による弊害(地方店舗の資産管理統括が不可能になった)の発生や、バブル崩壊に伴う海外チャネル構築の大失敗、さらにはバブル崩壊以降の消費の冷え込みへの対応に遅れた上で旧態依然とした拡大路線経営からの脱却ができず2000年に民事再生法を適用して経営破綻。と同時にグループが瓦解し、グループに深く食い込まれていた地方の経済は一時的なパニックに陥った(ここまで旧そごう。イメージカラーは赤)。
その後運営会社の一本化や西武百貨店との経営統合を経て、セブン&アイ・ホールディングスの傘下となり株式会社そごう・西武が運営していたが(ここから新そごう。イメージカラーは青色)、23年8月31日にそごう広島店新館を閉鎖、23年9月に米フォートレス・インベストメント・グループに売却され10月にそごう千葉店ジュンヌ館をヨドバシホールディングスに売却と苦境が続いている。
沿革
1830年に十合伊兵衛が、大阪の坐摩神社(陶器神社)近くに創業した大和屋を前身とする。
1919年に法人改組し、株式会社十合呉服店となり、1940年には株式会社十合となる。
1961年、当時の社長の死去に伴い株主(主には銀行・証券会社)間で経営権の綱引きが発生し、お家騒動に発展。最終的に日本興業銀行(興銀)出身の水島康雄が社長に就任。担保法の権威としても知られた水島により、不動産資産価値の変動を利用して銀行から資金を引っ張ってくるマネーゲームによる拡大路線が本格化する。
1967年、のちにグループの中核店舗となる千葉そごう(現:そごう千葉店)を設立。以降のそごうは「出店した土地の地域開発による地価上昇を見込んだ含み益(実態の無い数字だけの利益)を担保に用いて銀行から借入を受けまくる」という実質利益の無いトンデモ錬金術で注入資本を増加させ回転させるようになる。
1969年には法人改組50周年を記念し株式会社そごうとなる。1970年代は出店を加速させ、1979年の黒崎そごう開業で「グレーターそごう計画(そごう10店舗構想)」を達成。1980年代以降も海外進出も交えつつその動きは続き、1987年に台湾の建設会社との合弁会社が運営する太平洋そごうの開業で「ダブルそごう計画(そごう20店舗構想)」、1991年の川口そごう開業で「トリプルそごう計画(そごう30店舗構想)」、1994年の広島そごう新館の開業で「クアトロそごう計画(そごう40店舗構想)」を達成し、売上高も1991年度で約1兆4000億円に達する巨大グループに変貌した。
1990年代にバブル崩壊が巻き起こり、不動産価値が下落。そごうグループが融資根拠としていた含み益が一気にマイナス化。すべての資産が一転して含み損資産となってしまう。しかし、この時点で既に既定路線(=いわゆるお約束)と化していた(ほぼ自転車操業の)拡大路線には歯止めを効かせる事ができず銀行側もそごうも勢いのままにバブルな計画を推し進めてしまった。
1998年、バブル崩壊の余波でメインバンクのひとつ・日本長期信用銀行(長銀)がついに破綻。この時もう一方のメインバンクである興銀がそごう再生の切り札として債権放棄計画を進めていたのだが、長銀の売却先である外資系投資ファンドが売却時に結んでいた瑕疵担保条項(長銀が持つ不良債権に対し売却後3年間で損失が生じた場合、その損失分を預金保険機構が補填する条項)に基づく損失補填(=公金すなわち税金の投入)を求めた結果、これに当時の野党がガチギレ。そごうの経営問題は政治問題に発展する事となり、グループ資本のブラックボックス化まで知られて国民の怒りを大人買いする羽目に陥る。
2000年7月12日、債権放棄の見送りに加え、これにまつわる騒動が原因となって前年比で売上が15%減少した結果、大企業としては初となる民事再生法の適用をグループ各社と共に申請し、事実上経営破綻した。負債総額はグループ22社で約1兆8700億円、当時小売業としては史上最大の破綻劇となった。が、翌年に小売業でこれを超える破綻劇が起こることに...。
その際、旧経営陣(1960年代そごう体制の重役たち)による放漫経営と一族知人の防備のみを考える経営姿勢が散々にマスコミから暴かれ、店舗ブランドとしても完全に失墜。西武百貨店の支援を受けながら再建することになり、グループ22社中民事再生手続きが継続していた13社を受け皿会社十合の傘下に入れ、それら13社を合併させることで「株式会社そごう」とし1本化した。
2002年に西武百貨店側の経営体制の問題点(不良債権の増大)が表面化。両社合同で経営再建の道を探る。
2005年に西武百貨店との関係が支援から提携に変更。セブン&アイHD入り。ブランドの立て直しに着手。
2009年には株式会社ミレニアムリテイリング、株式会社西武百貨店、株式会社そごうの3社が、そごうを存続会社にして合併し「株式会社そごう・西武」(社名は先の通りだが、現在はそごうと西武百貨店をまとめた名称は主に「西武・そごう」としており、そごうのロゴも公式HPや広告などでは西武のロゴに準拠した書体にしている)に、次いで同じセブン&アイHD傘下の株式会社ロビンソン百貨店を吸収合併、同グループの百貨店事業を1社に統合した。
その後も不採算店の整理が進んだことにより、2012年1月31日に「そごう八王子店」が閉店したことにより東京都から完全撤退となり、2019年10月には「そごう徳島店」「そごう西神店」を2020年8月末までに「そごう川口店」を2021年2月末までに閉店する事を明らかにし(後に予定通り閉店)、そごうは創業地である関西から完全に撤退したうえに、引き継ぐ企業が無ければ川口市、大津市、徳島市からは百貨店が消滅してしまう危機に陥ってしまった。
特に徳島市は極めて深刻であり、市町村単位で対策をしなければ2020年1月に(日本百貨店協会に加盟する)百貨店が消滅した山形県(山形の地場百貨店である「大沼」が経営破綻した事によるもの。一応、県内には他にも「百貨店」を名乗る店舗として酒田市にマリーン5清水屋があったが、同店は同協会には非加盟であり、あとは同協会加盟の小型店として宮城の地場百貨店である「藤崎」の支店が少数と仙台三越運営のエムアイプラザが存在する程度である)に次いで「百貨店の存在しない都道府県」となってしまうが、徳島の場合は山形とは異なり「百貨店を冠する日本百貨店協会非加盟の店舗」や「日本百貨店協会加盟店が運営する小型店」も存在しないため、(この時点では何の対策も成されぬまま)当初の予定通り閉店。名実共に「日本で唯一百貨店が存在しない都道府県」となってしまったが、閉店から1年余り過ぎた2021年10月に高松三越が運営する「三越徳島」として順次開業する事になり、辛うじて「百貨店ゼロ県」から脱却する事になったのに対し、山形は2021年7月15日にマリーン5清水屋が閉店し同年8月13日に破産手続き開始決定がなされたことにより「日本百貨店協会加盟店が運営する小型店」しかない県になってしまった。その後、2024年には島根県と岐阜県も百貨店ゼロの県になる事が決まっている。
エピソード
- その経緯から閉鎖店舗が多いが、柚木(南大沢)や奈良のようにイトーヨーカドーになった店舗もあれば、有楽町や札幌のようにビックカメラがテナントになっているところもある(奈良、札幌は後に閉店し、後者は近隣の東急百貨店に移転)。
- 鉄道ファンには西武グループの一社としての顔だけでなく、かつては「動く(走る)電車の博物館」とまで謳われた高松琴平電気鉄道(コトデン)を民事再生法適用にまで追い込んだ会社として知られている。
- 理由は当然、2000年の旧そごうグループの瓦解。高松の瓦町駅ビルで「コトデンそごう」を経営していた合弁子会社(会社名は店名と同じ)が、ただでさえイオングループやゆめタウンの攻勢が巻き起こり厳しいトコロへ、上述の騒動で「ブランドの崩壊」「信用収縮」などに代表されるグループの負債をマトモにひっかぶって倒産し、その債務保証をしていたコトデンまで煽りをモロに喰らったため。それまで殿様運営でサービスは悪かったとはいえ、一応は健全経営をしていた会社を、たった一夜でぶっ潰すという連鎖倒産の見本を見せた。
- この事は当時のうどん県経済にとっても上へ下への大騒ぎとなり、その余波は現在でも続いていると言われている(ただし、この一件はコトデンが「ことでん」として資産整理と共に顧客サービスの見直しをも行う契機にもなっている)。
- また、経営破綻以前は3店舗しかなかった直営店の1つである「そごう神戸店」が阪神・淡路大震災で被災したことも経営破綻の遠因でもある(「そごう神戸店」は西武高槻店と共に2017年にエイチ・ツー・オー リテイリングに事業譲渡され、のちに阪急へとリブランドされている)。
- 倒産前はJR茨木駅付近に「茨木そごう」の出店を計画していたが、経営不振により白紙撤回された。もし「茨木そごう」が開店していたら、日本最大の郊外型百貨店であった。その土地にはマイカルが出店し、マイカル茨木が開業したが、前記のようにマイカルはそごうを上回る規模の経営破綻をやらかした末、イオングループに吸収された。そのため、現在はイオンモール茨木として営業している。
東京ディズニーリゾートとの関わり
そごうと聞けば、かの有名なアトラクションイッツ・ア・スモールワールドを連想する人は未だにいるだろう。
というのも、東京ディズニーランド開園から25年間、同アトラクションのオフィシャルスポンサーを務めていたからである。また、東京ディズニーシーでも、2003年からステージ「ドックサイドステージ」のスポンサーも務めていた。
それだけでなく、横浜そごうなどの一部の店舗では、時報前に『小さな世界』を演奏し、からくり人形が一斉に踊りだす、イッツ・ア・スモールワールドのからくり時計が入口に設置されていた。ちなみに設置店舗によって時計のサイズは異なっており、多くは5×5の正方形(横浜そごうなど)だったが、中には4×4の正方形(大宮そごうなど)という小さいタイプや、逆に3×9の長方形という大きいタイプ(千葉そごうなど)を設置していた店舗も存在している。
だが、経営破城後、一部店舗のからくり時計が運用停止。その後、奇しくもディズニーリゾート25周年の2008年に、東京ディズニーリゾートのスポンサーから撤退し、全店舗のからくり時計も惜しまれつつも稼働停止。現在は時計機能のみの運用となっている。
この運用停止の際に書かれた、ご案内には、子供たちのために「おにんぎょうさんたちは、おやくそくがあって、おうちにかえることになりました。」という注意書きも書かれていた(ここで言う「おやくそく」とは契約の事を、「おうちにかえる」は人形の撤去をそれぞれ暗示している…とされる)。
なおからくり時計は台湾の一部店舗にも設置されていたほか、ライセンス契約して運営している遠東SOGOの一部店舗では香港ディズニーランドにおけるイッツ・ア・スモールワールドのスポンサー契約を開始したことから、現在もからくりの演出が継続されている。
現存する店舗
全て県庁所在地の自治体敷地内にある。
関東地方
神奈川県
- 横浜店
埼玉県
- 大宮店
千葉県
- 千葉店
中国地方
広島県
- 広島店
近年まで現存していた店舗
この場合の「近年」は令和改元後の2020年代以降とする。
関東地方
埼玉県
- 川口店 ※2021年2月末に閉店。
近畿地方
兵庫県
- 西神店(読み方は「にししん」などではなく「せいしん」) ※2020年8月末に閉店。
四国地方
徳島県
- 徳島店(セブン&アイとしては四国に出店する方針はなかったが、そごう・西武を買収した結果「成り行きで」店舗網を拡大したという逸話がある) ※2020年8月末に閉店。
関連動画
関連タグ
ハクション大魔王2020:2016年に閉店したそごう柏がモデルと思われる百貨店が登場した回がある。
エクスティンクション・レベリオン:環境保護団体。マークがそごうのものと酷似している(違いは線の太さだけ)。
関連リンク
そごうファイル、黒崎そごうメモリアル:そごうに関する報道や各種記録が掲載されているサイト。